ユニバーサル・ベーシックインカムの是非、真の責任は企業に

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富裕税によってUBIのようなシステムを賄えばいいという話も出ている。富裕税を導入して、国民皆保険「メディケア・フォー・オール(Medicare For All)」を実現させよう。大学の授業料を無料にしよう。いわゆる「グリーン・ディール」を成立させて温暖化対策に乗り出そう――。次々と出てくる要望に応えるためには、膨大なお金が必要だ。

そもそも、国からUBIが支給されるのを期待するのは妥当なのだろうか。社会支援を受けるべき人間がいるからという意味では、妥当ではない。それよりも、多くの人がそうした支援を必要とせざるを得ないのはなぜかを考えてほしい。

仕事があるのなら、その仕事に対して、最低限の生活を送るのに足る給与が支払われるべきだ。でなければ雇用主は、従業員の困窮と絶望感を理由に、補助金をもらおうとしていることになる。

靴屋は、交換用ヒールをストックするために補助金がもらえると思ってはならない。板金工場が儲けを増やそうとして、鉄鋼業者に割引価格で売ってほしいと頼むのは、あまりにも甘い考えだ。飲食店は材料をタダで手に入れられない。建設業者が、安い電動工具のために補助金を申請することは許されない。

労働も同じだ。生きていくには固有のコストがかかる。それは、労働を提供する人たちが生計を立てるうえでの最低限のラインだ。そこに達しなければ、労働者は死んでしまう。そうなれば、ほかの誰かがその人に取って代わり、同様に死ぬまで働くことになる。あるいは企業は、ほかの誰かが、衣食住や医療費などのコストを賄ってくれる、と考える。労働者の大切な家族や、次の雇用主がおそらく何とかしてくれるはずだ、と。

いずれにせよ、企業は政府からの補助金、つまり施しを求めている。こうした状態で、自動化によって仕事を失う人がどんどん増えていったらどうなるだろう。その人たちはどうすればいいのか。死ねば、増えすぎた人口が減ってくれる、ということなのか。

労働者が最低限の収入を得られないなら、足りない分を給与として支払うのが企業の責任だ。リーズナブルな最低賃金基準をベースに、給与として直接払うのがいい。個人へのUBI支給が必要であることを最終的に認識し、それから「支払いは任せろ」とばかりに企業に補助金を出すよりも、適切なやり方だ。

翻訳=遠藤康子/ガリレオ

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