──現在研究されている「幼児教育の長期効果」と「無園児を減らす取り組み」について教えてください。
日本では幼児教育によって子供の攻撃性と多動性が下がったという短期的な影響は明らかになったが、前述のヘックマンの研究のように、将来の犯罪が減ったかどうかは証明されていなかった。
共同研究者とやっているのが、日本で全国的に幼稚園が増えた1960年代に着目し、幼稚園が増えた自治体と増えなかった自治体を比較して、幼児教育の長期的な効果を調べる研究だ。
まだ論文として出ていないが、少年犯罪は幼稚園が増えた自治体で減っている、と言えそうだ。日本のようにもともと世界的には犯罪が少ないところでも、犯罪を減らす効果があるとすれば、幼児教育には大きな社会的意義があるといえる。
二つ目の「無園児」は、幼稚園にも保育園にも通っていない子どもたちのこと。日本では全体の3%とそもそも少ないが、それゆえに放置されていた課題だった。
無園児になる理由は、独自の教育をしたい思う親の子どももいるが、多くは社会的に恵まれていない子供たちだ。今までの研究によると、そういう層はまさに幼児教育の高い効果が期待できる。例えば外国人の子供が幼児教育を受ければ、日本社会に溶け込むきっかけになりうる。
何が本当のボトルネックになっているのか。幼児教育のメリットや無償保育の情報を知らずに受けさせていないケースと、援助の仕組みは整っているものの、複雑な手続きがネックになっているケースの可能性があると考えている。最終的には、この最後の3%に幼児教育を受けてもらうことで、社会全体に大きなメリットがあると明らかにしたい。
科学的根拠が確かな研究成果を出すには、質・量ともに充実したデータの入手が欠かせない。日本では、行政上のデータが散らばっていて一元化されていない上、電子化が進んでいないために分析や研究への活用が難しいという問題がある。一方で、兵庫県尼崎市や東京都足立区など一部の自治体で、積極的に研究者と組み、データを政策に生かそうとする動きもあり、期待している。
やまぐち・しんたろう◎1999年慶應義塾大学卒業、2001年同大学大学院修士課程修了、06年米ウィスコンシン大学Ph.D。17年に東京大学准教授に着任し、19年より現職。初めての著書『「家族の幸せ」の経済学』(光文社刊)がサントリー学芸賞を受賞。週刊ダイヤモンドの「経済学者・経営学者・エコノミスト107人が選んだ 2019年『ベスト経済書』」第1位にも選ばれた。