これは、試験任意化の動きが広がり続けていることを示している。昨年起きた不正入学スキャンダルで、統一試験での詐欺行為が明らかになったことで、こうしたトレンドは予測されていた。昨年のスキャンダルによって、競争の激しい入学審査において統一試験に過剰な重点が置かれていることが明らかになったほか、入学希望者の優秀さの指標としての統一試験の妥当性を疑問視するデータが改めて注目されたことで、試験任意化の勢いが再び活発化した。
米団体「公正・オープンな試験のための全米センター」(フェアテスト)によると、昨年9月までの1年間で47大学が新たに試験の任意化を発表した。試験を任意とする大学は1000校以上に上り、中には名門とされるリベラルアーツ系大学、公立大学、私立大学も数百校含まれている。
フェアテストのボブ・シェーファー公立教育担当ディレクターは、「ACTやSATを必須としない大学は、(昨年9月までの)1年間で過去最速のペースで増えている」と指摘。「この夏だけで20校が試験を任意化した。週に1校以上のペースだ」と述べている。さらにここ2カ月ほどで、インディアナ大学やカリフォルニア工科大学(カルテック)、ノースカロライナ大学が統一試験の要件を撤廃したり緩和したりした。
もう一つの非常に重要な点として、この動きが訴訟の結果として裁判所命令を受けたり、法律によって義務付けられたりしてではなく、大学による通常のガバナンスを通じて起きていることがある。カリフォルニア大学は最近、同校のSATやACTの使用は偏見的であり、志望者のさまざまな市民的自由を侵害しているとして訴えを起こされ、大きな注目が集めた。原告側はこうした試験を同校の入学審査から排除するよう求めている。
この訴訟が注目を集めることは理解できるものの、残念でもある。裁判所が介入することにより、各校がそれぞれの状況に合わせて入念に検討し制定した入学審査制度を自主的に変える機会が減り、究極的には裁判所によって義務付けられた方針をしぶしぶ受け入れるケースが増えるからだ。
大学の入学審査方法に裁判所が介入することが良い考えだと思う人は、社会的弱者を入学審査時に優遇する「アファーマティブ・アクション」が憲法違反だと訴えたアラン・バッキらがもたらした混乱や論争からしっかり学べていない。
米国では最近、週に1校のペースで国内各地の大学が統一試験を任意化している。カリフォルニア大学も、実施中だった統一入試の見直しを終わらせる時間を与えられてさえいれば、同じ結論に至っていただろう。長期的には、統一試験の終焉を願う人々にとってさえも、裁判所命令ではなく大学がこうした試験に関する決断を自主的にできるようにするのが最善だ。