ビジネス

2020.02.10

アートとビジネスの融合がもたらす「歪み」の正体

Iordache Laurentiu / EyeEm / Getty Images


アイデンティティは、自分自身の奥深くに潜むものです。ですから、表現すること自体がとても困難です。また、アイデンティティは、気持ちいいと感じること、すなわち快楽と密接に結びついています。そのため、アーティストが、自らのアイデンティティを表現できたときは、このうえない快楽という報酬が与えられます。

一方で、アイデンティティはいったん傷つけられてしまうと、アーティストは普通の人以上に不快感をあらわにし、苦痛を感じるのです。

前述したキース・エマーソンは、世界的に才能を認められ富と名声を手にしました。しかしその後、手の病気に悩まされ、手術を受けましたがよくならず、思うように音楽表現ができなくなり、精神的な不安を抱えてしまいました。そのような状況にあったにもかかわらず、ビジネス上の理由からアジアツアーが企画されます。キースはそれに出かける直前、サンタモニカの自宅で自らの命を絶ってしまうのです。

彼にとって、自分の音楽を十分に表現できないことを、人前にさらすのは耐えられなかったのだと思います。

自分のアイデンティティを表現すること、これこそアーティストが最も大切にしていることです。名声を手にしても命を絶つアーティストが何人も存在するのは、彼らにとってアイデンティティは命と等価だからなのです。

マイケル・ジャクソンは、生きることを音楽とこう結びつけて表現しています。

「生きることは音楽的であること。体内の血液が血管のなかで踊り出すところから始まる。すべての生命がリズムを刻む(To live is to be musical, starting with the blood dancing in your veins. Everything living has a rhythm)」

「アーティストの思考」だけではビジネスに向かない


アーティストの思考とは何かをまとめると、次の3つに集約されると考えています。

1. 徹底した基礎があってこそ、破壊的な創造が生み出される
2. ビジネス的な成功は、自身のなかでは乖離が生まれることもある
3. 自分のアイデンティティを表現できることが最も大切である

こう考えると、アーティストの思考を尊重すればするほど、ビジネスへの活用は難しいように思えます。そして、アーティストの思考は、けっして課題解決型ではありません。結論として言えば、そのままではビジネスには向いてないと言えます。

しかし、アーティストの思考として注目すべきは、プロフェッショナルへの高い意識と、作品の創作を支える徹底的な基礎へのこだわりだと思います。

実は、私が音楽家からビジネスの世界に転身したとき、ビジネスパーソンにはプロフェッショナル意識の低い人が実に多いと感じました。クライアントに胸を張ってこの領域ではプロだと言える勉強をしている人はあまり見かけませんでした。

そういう人たちは、キーワードしか書かれていない世間でバズったビジネス書を買い、やたらと講演を聴きに行っていました。最近では、専門技術や歴史への知識もないまま、業界のイノベーションや企業のデジタル化を語っている人もしばしば見受けられます。

新たなイノベーションを創造するためには、まずその領域について徹底的に学び、プロフェッショナルになることがスタートポイントなのではないでしょうか。流行りのビジネス書をかじったくらいでは、実際のビジネスで新しい創造ができないのは当たり前です。

では、アイデンティティの実現を図るアーティストのように、「プロとしてビジネスに徹底的に没入する」とは、どういうことなのか、そしてそのためにはどうすればいいのか。次回では、「デザイン思考」と「アーティストの思考」を掛け合わせたビジネス向けの思考法、「クリエイティブ思考」について述べたいと思います。


連載:エリックのInnovation and beyond

未来は、どのようになっていくのだろうか。
イノベーションを起こし、その先を創っていくのは、私たち人間だ。
未来は誰も知らない。想像の中にこそ未来がある。
音楽家でありビジネスコンサルタントであり大学教授の松永エリック・匡史が、独自の視点から世の中を斬り、未来へのヒントを導き出す。

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文=松永エリック・匡史 構成=細田知美

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