後にフォーブスの世界長者番付で18回も首位になった彼の半生をダイジェストで紹介する。
ビル・ゲイツの幼少期から大学時代まで
ゲイツは、弁護士の父親と元教師である母親の間に生まれた。幼少期から読書が好きで、SF作品からナポレオンなどの偉人の伝記まで、様々なジャンルの本を読んでいた。
人と違うことをするのが好きだったことと、どんなことでも1番になりたいという競争心の強い性格だったこともあり、小学校の同級生からは負けず嫌いの変わり者と思われていた。成績は優秀で、中でも数学が得意だった。記憶力にも優れ、聖書を一言一句間違えずに全て暗唱して牧師を驚かせたという逸話もある。
中学高校はシアトルでも有名な進学校であるレイクサイド校に進学。レイクサイド校には、コンピューター教育のための寄付金により、テレタイプ端末が導入されていた。ゲイツはこれに強い興味を示し、コンピュータールームに通う日々を送る。当時から「近い将来、必ずコンピューターが人々の生活を変える」と周囲に話すほどコンピューターの可能性を感じていた。
高校時代に、のちにマイクロソフトをともに立ち上げる2歳年上のポール・アレンと出会う。ゲイツはアレンを始め、学友たちと「レイクサイド・プログラマーズ・グループ」を結成。彼らはコンピューターのある施設を利用するための資金を稼ぐためにプログラムを開発し、一夏で5000ドル(当時約160万円相当)を稼いだ。
また、72年の春には「トラフ・オー・データ」という会社を立ち上げた。交通監視装置から情報を分析する機械を開発したが、あまり需要はなく早々に店じまいとなった。その後、ゲイツはボストンにあるハーバード大学へ進学。数学を専攻するが、学問よりもカードゲームに明け暮れる日々を送っていたという。
一方、アレンはワシントン州立大学へ進学後、2年ほどで大学を中退し、ボストンにある「ハネウェル」でプログラマーとして働き始めた。同じボストン内で生活を送るふたりは再会を果たし、アレンがゲイツに、大学をやめて一緒に会社を作ることを提案したことから、ふたりはマイクロソフト創業への道を歩み始めた。
マイクロソフトを創業
75年、ゲイツは大学を中退して、アレンとともにマイクロソフトを設立。19歳のゲイツはアレンと総勢11人のスタッフと一緒にコンピューター業界に参入した。
創業10年後の85年には、「Windows」を発売。しかし、84年に登場したアップルの「Macintosh」と比べると見劣りするものだったため、それを超えるべく社員総出で改良に励んだ。
90年に前身から大きく改良した「Windows3.0」を発売、さらに改良を重ね、1995年に「Windows95」を発売。機能面でもMacintoshと並ぶ出来栄えで、世界的なヒットを記録した。また、同時に導入をした「Internet Explorer」も爆発的な人気を博し、マイクロソフトは世界最大のPCソフトウェア企業になった。
ビル・ゲイツの現在
ゲイツはフォーブスの世界長者番付で1995年から合計18回、1位の座に輝いている。2017年以降はアマゾン創業者のジェフ・ベゾスに次いで世界2位にランクイン。19年4月時点のゲイツの資産額は1006億ドルとされている。
08年にはマイクロソフトの一線を退き、会長職へ。それからは「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」を通して慈善活動に力を注いできた。09年にはウォーレン・バフェットとともに寄付啓蒙活動「ギビング・プレッジ」をスタート。富裕層たちに自身の資産の半分を慈善事業に寄付することを促している。
14年には会長職を辞任し、新任のサティア・ナデラをサポートするための技術アドバイザーとして新しいポストに就いている。