藤澤聡明。マイクロソフト、グーグル、そしてアマゾンと、世界のトップ企業で重責を次々に担った後、2018年に突如、沖縄県浦添市に移住し、周囲を驚かせる。
「那覇市の少し北側で、自宅は『キャンプキンザー(アメリカ海兵隊の基地、正式名称は「牧港補給地区」)』が向かい側で、普天間基地も近いんです。まさに『東京にいると感じられない日本』で暮らしている実感がありますね」
現在は、マイクロソフト時代の仲間が立ち上げたスタートアップのボードメンバーとして、海外のオンライン動画配信企業に日本映画の配信権を販売する部署を率いる。
沖縄県浦添市の仕事場(左)と、「臨港道路浦添線(浦添市)」横の大型ショッピングモール駐車場で見た夕焼け(右)
「人」がつないだキャリアパス
「新卒で、300年の歴史のある某商社に就職したんですが、いわゆる年功序列の古いタイプの企業文化の中で、なんか違うな、将来の絵が描けない、このままだとなりたい自分になれないなと感じていたんです。そんななか、Windows95の登場で一気に身近になったインターネットに触れ、未来のビジネスへの可能性を感じて、1998年、アメリカから日本に進出したばかりのインターネットビジネスのベンチャー企業に飛び込んだのが、すべての出発点でした」
あとのキャリアパスは、すべて「人」つながりでどんどん伸びていく。マイクロソフト、グーグル、アマゾンと移ったのも、すべて先に移籍していた上司などから声をかけられての縁だった。
「20代後半から30代の終わりまでは、本当に死に物狂いで仕事していた。その頃、自分の働きぶりを見ていた人たちが道筋をつくってくれたと思っています」
グーグルで開拓した、広告ソリューションの「超新市場」
藤澤がグーグルに入社した2009年当時は、iPhoneが日本にも上陸し、世界全体でスマートフォンが大きなブームになりつつある時代だった。
実は彼は、最初からマイクロソフトからグーグルへと転職をしたわけではない。
「まずは米国のモバイル広告プラットフォーム会社で、グーグルと真っ向から競合する企業の『アドモブ(AdMob)』が日本支社を立ち上げた直後に、たまたま先にそこに転職していたマイクロソフト出身の知人とのつながりで加わったのがきっかけです。そして、このアドモブに入社した4カ月後にグーグルが同社を買収したため、私もグーグルにジョインする形になったわけです」
アドモブはスマホの潮流をいち早く見越し、スマホへの広告配信で新たな広告市場を構築していた新星の企業だった。藤澤はオンライン広告営業の責任者として、市場へのスマホ広告のいわば啓蒙的な活動と同時に、営業戦略立案や営業活動を一手に任された。だが、日本ではまだスマホユーザーがきわめて少ない時代、「最初は売上げも立たず、たいへん苦労しました」と藤澤は言う。
そもそも、営業先の企業担当者本人がスマホを持っていない。ネット業界にいるわけでもないので、ITリテラシーも高くない。一般の人たちには「インターネット」自体がすでにまだ新しくて、「フィーチャー・フォン」、今でいう「ガラケー」を使いこなすので精一杯という時代だったのだ。