「無実の加害者」にされた女の絶望と復讐、そして昇華


後半、市子を、辰夫の起こした事件に積極的に関与した元・性的虐待者として喧伝するメディアの攻勢の前に、市子の生活の全てが崩れ去っていく一連の場面は壮絶だ。

テレビニュースに凍りついた訪問介護ステーション内で、信じられないという顔で市子を見つめる同僚たち。自宅に絶え間なく押しかけるマスコミと、大家からの退去要請。助けを求めた、犯罪被害者を支援する団体からの拒絶。

一旦は理解と支える意思を見せた将来の夫と最後の話し合いをする公園での遠景は、相手の心が折れたことを示唆する。連れ子との別れを惜しむ市子に一瞬顔を強張らせる彼の表情は、世間と市子の間に作られた分厚い壁そのものだ。

「本当の加害者」への復讐


市子が過去にふと興味本位で幼い辰夫にしたことは、あまり褒められたことではないかもしれないが、一般的にはありふれた出来事だろう。それが事件と故意に結びつけられ、事実とは大きく異なる語られ方をすることによって、市子は理不尽にも「加害者」へとでっち上げられた。

仕事もプライベートも失った市子が、自分をそのような境遇に陥れた当人に復讐しようとする心理は、一度貼られたレッテルをどうやっても剥がすことはできないという絶望感とともに、後半も終わり近くになって説得力を増してくる。

しかし「本当の加害者」への復讐は、あっけなく空振りに終わる。絶望の淵から生還した市子はやがて、辰夫と再会する。出所した彼を迎えに行ったその顔にあるのは、自分が昔うっかり撒いてしまった小さな種を引き受けるしかないという覚悟だ。

そしてある日、市子は、彼女が撒いて忘れていたもう1つの種が、いつの間にか芽吹き育っているのを目撃する。

かつて大切に育てようと手をかけた種子は、忘れていても芽を出すのだ。相手の罪を赦すか赦さないかは別として、それはやはり祝福すべきことではないだろうか。 "彼女"への市子の最後のサインを、私はそのように捉えたい。

連載 : シネマの女は最後に微笑む
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文=大野 左紀子

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