「無実の加害者」にされた女の絶望と復讐、そして昇華


ここでは過去の時系列中心に書いているが、時に小刻みな過去と現在の切り替えは、出来事の「前」と「後」の著しいギャップを際立たせている。

きっかけとなるサキの誘拐事件はドラマが始まってまもなく起こるものの、その後市子に降りかかった出来事の深刻さは、かなり後半になって判明してくる。そのため、前半に挿入される「後」のシーンでの市子の奇異な行動は、当初はかなり唐突に見える。

例えば、米田の部屋の見えるアパートの窓から犬のように吠え続ける場面とそれに続く夢の中のシーンは、ホラー味を感じるほどだ。

だが、過去シーンでじわじわと事情が明らかにされるに従って、現在の市子を突き動かしている、如何ともしがたい感情が浮かび上がってくる。そこにあるのは、怒りや恨みを人間らしい言葉にすることはもうできず、犬のように吠えるしかないという圧倒的な虚無感だ。

虚無と言えば、冒頭、市子が米田の店に来て髪を切ってもらうまでの時間、大きく口を開けて呼吸している口腔の黒々しさも印象的だ。気持ちを落ち着かせるためのその所作が、過去シーンでは基子やサキと分かち合う微笑ましいものであるのに対して、ここでは市子の中の闇を象徴しているかに映る。

二人の「秘密」を持ちたかった


こうした中で、基子の鬱屈も徐々に見えてくる。サキの失踪に取り乱す母に対しての「私なら良かったのにね」という呟き。全く化粧気のない顔、切りっぱなしの髪にトレーナーにズボン。一応彼氏はいるらしいものの、家庭ではうっすらと疎外感を抱えた基子が、慕っている市子との間に「秘密」を持ちたいと思ったのは、自然なことのように見える。

市子への基子の感情が敬愛を超えたものであることは途中からわかってくるが、それに市子は気づかない。さらに市子は、基子が葛藤する市子の気持ちをほぐそうとして話した性に関する他愛ない思い出話に、お返しのつもりで、幼児の頃の辰夫に関するエピソードを話す。

この一見些細な、しかし市子の現在に決定的な打撃を与えることになる秘密の共有が、動物園で偶然見たサイの勃起を契機としているのも、前の喫茶店での不幸な偶然と同じく、運命の悪戯というほかない。後から思えば「なぜあの時……」というような、あまりに小さな偶然を物語の中核に据えている点に、人生に対する深く冷徹な視線が感じられる。

市子とより親しくなれたという基子の喜びは、信号を渡るために先を走る基子を市子が追いかけるスローモーション・シーンで頂点となる。ここでの基子の表情は「私を追いかけてみて」と言っているかのように生き生きと明るい。

だが、市子には近々結婚する予定の子持ちの男性がいるとわかった段階で、基子は市子が自分のものにならないことを知る。
次ページ > 一度貼られたレッテルは剥がせない

文=大野 左紀子

ForbesBrandVoice

人気記事