カレーパンとデコポンと波除神社のお守りと
名医とはサプライズで訪れるものなのか。2度目の撮影のあと、親友Mが来てくれた。「手術が終わって元気になったら旅行しよう」という話になった。仕事と育児で時間が埋め尽くされてきたことを思えば、Mと2人で日本の未踏の地を歩くのは、贅沢な時間の楽しみ方だと思った。旅行を楽しみにして、手術を受けてこよう。
新しい違う人生が始まる前夜、病院食のあとにMが築地で買ってきてくれたカレーパンを食べた。不安はなかったが、それでも手術をするわけだから、万が一のことがあったら人生最後の食事は病院食でなく、Mのカレーパンにしたかった。甘くて力強い味がした。
デコポンは、術後に食べるとジュースの代わりになっておいしいし、元気が出るから、とM。あさってデコポンを食べている自分を想像しながら、冷蔵庫にそっとしまった。
あの波除神社のお守りもいただいた。Mは、波除という名前がいい、もとは漁師の波を意味していたのだと思うが、人生の荒波も除けてくれるならまたとない場所だ、と言っていた。そして、私が先月お参りに行っていたときいて喜んでくれた。Mも、あの場所にはパワーを感じたそうだ。
The last meal before my brand-new life
幸せな人生とは
結局、幸せな人生とは、宝物ではなく、宝人(たからびと、勝手に造語した)に恵まれた人生のことだと思った。あたりまえのようで、わかっていたようで、ぜんぜんわかっていなかった。ああこの人と出会えただけでいい人生だった、と心底思える人がいること。それがすべて。ほかには何もいらない。
ありがたいことに、私にもそんな宝のような人がいた。完全に打ちのめされていたのに、じわじわと力を取り戻させてくれた。近くにも遠くにもいた。なのに、ほんとうのありがたさに気づいていなかった。
がんのおかげで大事なことに気づけた。これぞ不幸中の幸い。特に、死に近いところで日夜仕事をしている人や、私よりも死に近いところにいったことがある宝人は、強烈なパワーで私を引き揚げてくれた。
Mは、「あちら側にはどうしても行かせない、行かせられない」と言ってくれた。もはやこの宝人との関係性を、「親友」といった一般的な呼称で分類することは不可能だ。
「これぞまな板の上の鯉、だけど、新しい違う人生の始まりだよ!」
My brand-new life. 楽しみだ。簡単に死んでたまるか。なぜか力が湧いてきて、さすがに21時に消灯されても眠くはならず、しばらくギラギラしたまま起きていた。
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連載「乳がんという『転機』」。筆者は電通 チーフ・ソリューション・ディレクターでForbes JAPANオフィシャルコラムニストの北風祐子さん。
初動から立ち直るまでのブログ的記録。11人に1人が乳がんになる時代、大親友がたまたま医師だったおかげで筆者が知ることができたポイントを、乳がんの不安のある女性たちやその家族に広く共有し、お役に立てていただけたらと考えています。
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