王道の料理を「新しいバランス」で パリで食べたいステーキ定食

ソースがポイントのステック・フリット定食


そして、ある時ようやく思い至ったのは、昔、サンジェルマン大通りにあった葉巻屋兼ビストロだった。

確か、「カフェ・ハバナ」という名前だったその店は、入口を入って目の前にある半階分の階段を上ったところに葉巻を販売するカウンターがあり、対して半地下へ降りると、そこはビストロだった。

その店のタルタルステーキは、当時まだ少なかった包丁で千切りにした肉でつくるもので、パルメザンチーズとルッコラを合わせたイタリア風だった。料理学校の学生だった私は、そのタルタルステーキに憧れ、「タバコは吸わないけれど葉巻は好きなの」という年上の女友達と食べに行った。まだ店内で喫煙が当たり前だった時代だ。

その後、数回食事に訪れたけれど、店はいつしかなくなってしまった。ただ、肩に力の入り過ぎていない大人の男性が、1人で食事に来ている食堂のような風情のあるその店には、パリでも他では感じない空気があって、私は惹かれ続けた。

ラ・ブルス・エ・ラ・ヴィのコニャックが多めのコショウソースがけのステーキを食べながら、「これを食べた後はシガーが合いそうだな」とは思ったのだが、私の中でこの2つの店が結びついたのは、料理よりも、シックでありながら気張りのない空気にどことなく自由を感じたことだ。

ラ・ブルス・エ・ラ・ヴィの空気を生み出している立役者は、フランス北部の街リールにあった1つ星のフレンチレストランで宴会用に使われていたものを購入したという、椅子な気がしている。シックな店内に配されたその椅子が、ともすると、型にはまりすぎてしまいそうなインテリアをほどよく壊していて、この店の魅力を醸し出しているように思うのだ。

王道の料理を「違うバランス」で


その独自のバランス感覚は、料理にも見られる。例えば、ビストロの前菜として定番のポロネギのヴィネグレットソースには、ライムの皮をほんの少しとヘーゼルナッツを散らしてある。そのことで生まれた爽やかさと香ばしさは、クラシックなひと皿に心地よい風がそよぐ印象だ。

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ポロネギのヴィネグレットソース

また、オーソドックスなレシピでは牛肉を用いるポトフを仔牛肉でつくり、まずは頭肉を、ゆで卵を加えたラヴィゴットソース(ケッパー、パセリ、エストラゴン、玉ねぎなど入りの酸味の効いたソース)で食べさせてから、ブイヨンと肉を鍋で供する。主役のポトフの前に前座となるテット・ド・ヴォー(仔牛頭肉)が登場するだけで、よく知るひと皿が、初めての皿に生まれ変わる。


テット・ド・ヴォー(仔牛頭肉)ラヴィゴットソース

ステック・フリットと同じく、どこの店にもある王道の料理を、大枠はそのままにほんの少しだけバランスを、あるいはアプローチを変えて、どこにもない味に仕上げ、新たな旨さを発見させてくれる。クラシックの重みを味わえる喜びと、遊び心も感じられる軽やかさが楽しくて、いつしか定期的に訪れるようになった。

連載:新・パリのビストロ手帖
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文・写真=川村明子

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