ユーモアは人間関係の潤滑油、それは日々の「苦痛」から生まれる

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ユーモアには不思議な治癒力がある。私たちの日々の生活には、大なり小なり意図せざる苦痛が伴うものだが、ユーモアはそれらを和らげ、安心を与えてくれる。そのため、ユーモアは得てして、私たちが感じる「苦痛」から生まれることが多い。

私たちは会話のなかにユーモアがある人に憧れる。ユーモアがある人を、なんとなく「賢くてデキる人」だと感じたりもする。その人だったら、自分の悩みを理解して、どう解決するのかヒントを与えてくれると思うからだ。

では、日常生活のなかで、効果的にユーモアを言える人間になるためにはどうしたらよいか。ユーモアの元となる苦痛について、場合別に分けて考えてみよう。

正直者は慕われる


まず、自らが招いた軽い苦痛の場合だ。例えば、自分ではめかし込んで行った会食でその服装が場違いだったとか、人に奢ってもらい調子に乗って食べすぎて次の日に体調を崩したとか、こんな話を聞くと、人は思わず笑みがこぼれてしまうだろう。

私たちは、少なからず競争心や損得勘定を持っていて、それがこのように良からぬ形で現れてしまう。こんな経験は誰でも身に覚えがあるから、そこにユーモアを感じて、少々その話がイタくても楽しく感じる。こんなふうにユーモアをぶっちゃけて言える人は、人間らしくて、正直者だと思われるものだ。

ウディ・アレンの台詞を参考に


次に、私たちは自らの性格をコントロールしきれないという苦痛もある。そんな場合のユーモアだ。

俳優であり映画監督のウディ・アレンは、自伝的作品「アニー・ホール」のなかで、恋愛がなかなか成就しない主人公(ウディ本人が演じている)に、次のようなセリフを言わせている。

「自分をメンバーにするようなクラブには入会したくない(I don’t want to belong to any Club that will accept me as a member)」

他者から好かれたいのに素直になれないとき、自分の心の内の複雑さに参ってしまうこともある。この類のユーモアを言う人は、めんどくさいヤツと思われるが、内省的でなかなか厳しい目を持っている人だとも思われることだろう。

愚痴をいいながらでもいい


最後は、外部から被った偶然の苦痛の場合で、ユーモアでどうしのぐかだ。

よく行く店が統合されてなくなったとか、バージョンアップされたデジタル機器が使いにくいとか、法令の改正で生活がしにくくなったとか……全体がよくなっても、自分にとっては不都合となる場合。こんな状況をユーモアにできる人は、愚痴を言いながらでも、一緒になんとかやっていける仲間だと、周囲は認識してくれるはずだ。

ユーモアについて、その元となる「苦痛」別に考えてきたが、ユーモアのある人間は、自然と人望を集めることになる。ユーモアがなくても生活に困ることはないが、あれば人間関係の潤滑油にもなる。人生の苦痛は、笑いに変えることで分かち合い、他者と繋がる役にも立つ。だからユーモアは大切なのだ。

連載:表現力をよくするレシピ
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文=中井信之

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