中国本土にありながらも経済特区の深センは、金融とテクノロジーに特化した中央政府の直轄都市。省の機関を経由しないために意思決定が早く、それがこの街の成長につながっている。
とはいえ、経済成長を続ける若い地域ゆえに、ファインダイニングのカルチャーはまだ根付いてはいない。もちろんリスクはあるが、そこに可能性を感じないわけにはいかないだろう。
コストーとともにエンスーを仕掛けた27歳のオーナーたちは、なぜまだ美食の文化のない深センを選んだのか。アジアのハブ的な香港も、カジノマネーで沸くマカオも、候補地としては悪くはなかっただろう。美食の文化がすでに確立した場所で挑戦するほうが、簡単なのではないのか。アメリカで大学に通うなど6年間を過ごしたアドワードに、その理由を聞いてみた。
「深センは30年前まで、ただの漁村だった。古いものは何も残っていないけれど、経済特区になる前から移民の多い街で、他の中国の都市のように閉鎖的ではなかった。ぼくの両親も移民だ。ぼくたちが大きくなるにつれて、深センも一緒に大きくなってきた。いまは、北京、上海に次ぐGDPの成長率を誇っている。とにかく、この街には愛着があったんだ。アメリカから戻ってくるのも当然の決断だったよ」
深センは、自分たちとともに育ってきた街──。エンスーという名前には、この場所とともに成長していくレストランという意味も込めたという。
「エンスー」のシェフ、クリストファー・コストー
30人のトップシェフと面接を経て始動
「深センにはすでに日本料理、広東料理の店はあったから、西洋料理にしようと決めた。オープンするにあたり、上海など中国各都市の西洋料理の有名レストランを食べ歩いた。そして気づいたのは、どこも欧米の本店そのものの料理をコピーしたものばかりだった」
自分たちが誇る深センのある中国、その食文化を表現する、この国の食材を使った料理こそ、深センを代表するレストランにふさわしいとアドワードたちは考えたという。もちろん、GDPの伸び率が7%というこの地に流入してくるニューマネーも魅力的だ。
深センにまだ存在しないファインダイニングの文化を根付かせる、その最初の店になることは重要だと考え、世界を股にかけて歩き、30人ものトップシェフと面接し、プロジェクトを進めた。
その結果、モダンカリファルニア料理の「ミードウッド」に白羽の矢を立てた。カリフォルニアに農場を持ち、ファームトゥーテーブルのコンセプトで地産地消を行なっているのが魅力的に映ったのだという。