メイは1948年、カナダ・サスカチュワン州で5人きょうだいの一人として生まれた。一家は1950年、南アフリカのプレトリアへ移住。メイは22歳の時に高校時代からのボーイフレンドと結婚したものの、9年間にわたり虐待を受けた末に離婚し、その後はシングルマザーとして3人の子どもを育てた。
メイは、栄養士として前糖尿病や高コレステロールの患者をサポートし家計を維持すると同時に、南ア初のプラスサイズモデルとしても活躍し、ヴォーグ誌やコスモポリタン誌に登場するまでになった。
現在71歳のメイは新著『A Woman Makes a Plan: Advice for a Lifetime of Adventure, Beauty, and Success(女性は計画を立てる 生涯にわたる冒険、美容、成功に向けたアドバイス)』で、自らのキャリアを振り返ると同時に、将来成功する子どもの育て方について綴っている。以下に、同著の内容を一部紹介する。
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31歳でシングルマザーになった私の優先事項は、3人の子どもを養うことだった。
私の母親は、フルタイムで働くことに一切罪悪感を持たない人だった。私もフルタイムで働く以外に選択肢はなく、そのことに罪悪感はなかった。私が寝室をオフィスにして働く中、子どもたちは自分のことは自分で責任を持って、事情を察する必要があった。後ろめたさを持つ余裕はなかった。前向きに生きるためには、パートタイムでもフルタイムでもとにかく働くための計画を立て、どんな助けの手も受け入れる必要がある。
子どもたちは小さな頃から、私の栄養士としての仕事を手伝ってくれた。末娘のトスカはよく私のオフィスで医者宛ての手紙をワープロでタイプしてくれた。最年長のイーロンは、ワープロの機能を私にとても分かりやすく説明してくれた。次男のキンバルもよく手伝ってくれた。
私は両親と同じやり方で自分の子どもたちを育てた。自立し、優しさを持ち、正直で、思いやりがあり、礼儀正しく、勤勉で、善い行いをする人間になるように──と。子供たちを赤ん坊扱いしたり、叱ったりはしなかった。勉強をしろと言ったこともない。子どもたちは、今何を勉強しているのか、あるいはしなかったのかを報告してくれた。子どもの宿題をチェックしたことはない。宿題は本人の責任だからだ。このやり方で、子どもたちのキャリアに悪影響は出なかった。私やそのきょうだいと同様、私の子どもたちも早い段階から責任を持ったことが役に立ったと思う。