「私も腹を決めます」「がっつり生きよう」
今、こうしてすっきりした気持ちで現状と向き合えるのは、産婦人科医の親友Mのおかげだ。がんだった、と報告すると、「非浸潤乳管がんですか。私も腹を決めます」と返事が来た。
産婦人科医というのは、生命の誕生と、病気の人と、両極端の状態にランダムに接するという、想像を絶する世界で仕事をしている。わかっていたつもりだったが、実際に病気の側になってみて、Mの存在を支えにしている患者さんがたくさんいることがわかる。情に流されず、情に厚い。天職だ。
前夜、Mは当直だったそうだ。「夜中と明け方に生まれ、その合間にがん末期の患者さんが発熱と吐き気で入院した。生と死と、両方に日々接しているので、人よりかなり冷静に物事を捉えているかもしれない。でも命の誕生は良い、未来の塊だ」と言う。「生きて生まれたなら、やっぱり、がっつり生きたいなーと日々思う」とも。
がっつり生きる。そう、がっつり生きよう。もっともっともっと。この病気を乗り越えて、がっつり生きて、生きて、生きよう。
息子の変化
2017年4月26日。告知されたあとは、息子の用事が多かった。週末は、バスケ部総会の事前打ち合わせ、公式戦の応援で埋まった。息子と2人で楽天戦も観に行った。息子は岩隈時代から楽天ファン、私はマー君が入ってからのファンだ。
息子は、病気のことは、自分からは何も聞いてこなかった。私の手術が決まると、今年の夏休みはこのままだとどこにも行けないと察知したのか、自分で短期留学のパンフレットを見つけてきて、私に差し出し、「アメリカに行きたい」と言ってきた。留学の話など、親からはしたこともなかったので、自発的に言い出したことに私も夫もびっくりして、たいしたもんだ、と費用もろくに見ないで即OKを出した。私の中では、この出来事を息子の「自立への飛翔」と呼んでいる。
息子は、この頃から、「やりたいことがたくさんある」「1日24時間じゃ足りない」が口癖の、スーパーアクティブ有言実行男になった。ちなみに私も息子と同じ年のころ、「24時間じゃ足りない。寝たくない」が口癖だったそうだ。口癖の遺伝だ。