震災ボランティアの視点から捉える「オンラインサロン」の力

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僕にとって、インターネットやオンラインコミュニティの力を信じるようになった原体験は、阪神淡路大震災のとき、震災ボランティアを1年間続けたことにあります。

以来僕は、フラットに人が集まることで生まれるコミュニティの力、その力を加速させるインターネットに可能性を見出し、形にし、ときには批評をさせていただいています。つまり、僕自身のインターネットに対する考え方やスタンスは、ほぼ震災での経験によって形づくられているとも言えるでしょう。

ところで今、多くの人が注目しているのが「オンラインサロン」ではないでしょうか。僕もその一人で、あらゆるオンラインサロンを観察させてもらいつつ、自分でも運営してみたりしながら、次第にそのコミュニティの力にあらゆる可能性を見出すようになりました。

今回は、阪神淡路大震災での経験と照らし合わせながら、オンラインサロンの力、インターネットの可能性について、2回にわけてお話したいと思います。

被災地で見た「インターネット的」つながり

話は、今から25年前の1月17日、5時46分に起きた阪神淡路大震災にさかのぼります。

当時、僕は京都の大学に通う学生で、その日は大阪の実家にいました。久しぶりに高校の友達と集まって、明け方まで桃鉄や麻雀をやって遊んでいたのです。そして非常に大きな揺れを感じました。幸いにも実家はものが倒れるくらいで済んだのですが、しばらくしてテレビをつけると、この日遊びにこられなかった友人が住んでいる東灘区が、震源地から非常に近いことを知りました。

僕はすぐ自転車に乗って、近所のコンビニで食料や水を買って現地に向かいました。友人は生きていて家も半壊で済んだのですが、このことがきっかけで、僕は次の日から1年間、被災地ボランティアをすることになりました。

僕は震災ボランティアを通じて、あらゆる人の善意の力が集まることによって大きな波が動いていくのを実感しました。集まる人たちは、あらゆる年代の、さまざまな肩書を持った人たちでしたが、被災地では誰もが立場に関係なく、フラットに協力し合うのです。今思えば、非常にインターネット的なつながりとも言えます。

ただもっと大事なのは、レジリエンス(しなやかに回復する力)を体験したことです。例えば、竹は嵐による突風で大きくしなっても、しなやかに形を戻していきます。震災後の阪神でも、たくさんの人が集まることで大きなレジリエンスを発揮し、街も人の心も少しずつ修復していくのを、僕なりに現地で体感していました。
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文=尾原和啓

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