『聖なるズー』著者に聞く、「動物性愛者との対話」から考える日本のジェンダー

『聖なるズー』著者 濱野ちひろ 撮影=小田駿一

テーマは「獣姦」だと聞くと、誰しも戸惑うか、顔をしかめざるを得ないだろう。それを逆手にとったような作品である。年末、日本に帰国した際に、親しい友人から「友人が書いた話題の書がある」と教えられた。同じ早稲田大学の第一文学部(当時)出身だという。

記者はForbes JAPANで5年にわたり女性特集と女性の働き方についての記事を担当してきたが、問題の本質は何だろう、と考えるようになっていた。

『聖なるズー』(集英社刊)は現在京都大学大学院に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究を行う濱野ちひろが「動物性愛者(ズーファイル、動物性愛者たちは自らを略して「ズー」と呼ぶという)」をテーマにドイツと日本を何度も往来して調査し、ノンフィクションとして書き上げた作品である。

2019年11月に開高健ノンフィクション賞を受賞して話題となり、書籍は品薄状態。近ごろ重版が決定したという。詳しい内容については、Forbes JAPANオフィシャル・コラムニストの首藤淳哉氏に書いていただいているのでここでは割愛するが、著者がプロローグで自身の20代の頃の性暴力の経験を赤裸々に語り、癒えない傷と闘いながら前に進む勇気と、社会規範や既成概念に一石を投じる姿勢に、なかなか進展しない日本のジェンダー問題を考えるヒントがあるのではないかと考え、話を聞いた。


──執筆の経緯は?

ライターとして約15年のキャリアがあったが、文化人類学を研究するため、2016年に京都大学の大学院に入学した。セクシュアリティ研究を行うことは決めていたが、自分自身の問題でもある性暴力をテーマとして真正面から取り組むのは戸惑われた。当時の指導教員から「獣姦」を研究してみては? と雑談のなかで言われたのが、動物性愛研究というアイデアのきっかけになった。

当初、獣姦と聞いて私が抱いたイメージは「動物虐待」。過去の自分の(性暴力を受けた)経験もあり、さすがに「私にはできない」と思っていた。しかし、人間と人間のセックスではなく、人間とそのほかの生き物とのセックスを考察してみるということは、非常にチャレンジングなものに思えたし、自分自身の常識を洗い直すことになりそうだという予感があった。

日夜リサーチしていたら、人間の側の性的欲求を一方的に満たすための獣姦行為ではなく、動物を性的な側面を含めて愛すという「動物性愛」というありかたがあると知るに至った。さらにドイツには「ZETA/ゼータ(寛容と啓発を促す動物性愛擁護団体)」という動物性愛者による団体があることもわかった。彼らは「動物虐待ではない」と主張して、動物性愛に対する理解促進などを行っていた。

動物性愛者(ズーファイル)たちに話を聞いてみたい。彼らは彼らのセックスや愛について、どう考えているのだろうかと思うようになった。そこで研究に着手し、フィールドワークを経て、修士論文を含む学術論文をこれまでに3本執筆した。

──2018年1月に修士論文を書き終えたが、ノンフィクションとして世に出そうと考えたときにとても勇気が要ったと言っていた。どのような点が怖かった?

一番怖かったのは、自分自身が受けた性暴力のことを世間に公表しなければならないということ。論文であれば自分の経験を明らかにする必要はないが、ノンフィクションでは、他者のみならず自分自身のことも深く掘り下げて執筆する必要がある。そうしなければ、研究にいたる必然性が伝わりきらない。

また、動物性愛という特殊に思われる事例から発展する議論に一般的な視点をもたらすためにも、まずは私自身が丸裸になり読者との架け橋になることが必要だと思った。

もうひとつは、動物性愛の研究をしていると擁護者だとみなされて、アンチ(動物性愛反対者たち)から攻撃を受ける可能性がある、とズーの人たちからも言われたことだった。実際に海外の研究者でそのような目に遭い、苦労した人もいた。一般的な性のありかたとは言えないので、バッシングは覚悟していたが、特にその2つが怖かった。
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編集=岩坪文子

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