『聖なるズー』著者に聞く、「動物性愛者との対話」から考える日本のジェンダー

『聖なるズー』著者 濱野ちひろ 撮影=小田駿一


セクハラやパワハラなど、世の中には解決が難しい問題が山積する。日本の男女平等指数も一向に改善されないままだ。今、なぜ対象者が少ない(と思われる)この特殊なテーマを選ばなければならなかったのか。そのような批判もあるだろう。

しかし、濱野がこの著作を通して、性的マイノリティだけではない「ノーマル」な人々にも伝えたいことは、男女といった社会的な役割を超え、相手の「パーソナリティ」を見ることで、人間関係は大きく変化する可能性がある、ということだという。

──セクハラやパワハラの問題には、双方の間には永遠に埋まらないような認識の違いや壁も見られる。こういった壁を乗り越えることは可能だと思うか。

男女二元論的に考えると行き詰まる。男 対 女という見方をしてしまうと、衝突が起こる。それを打ち破った方がいいと思っている。膠着状態を打開するためには、別の要素を入れる必要がある。私は男と女のみではなく、動物が入り込んだ関係を扱った。議論を一度混ぜ返したかった。ここから議論が発展してほしい。

人間は他の生き物とも濃密な関係性を持っている。ズーの人たちは、男性だからといって動物に対してアクティブパート(ペニスを挿入する側)になるだけではなく、パッシブパート(ペニスを挿入される側)の人々も多くいる。我々が当たり前に受け入れてしまっている男女の規範や性の規範を一度外して、考え直すことができる。

──ドイツでの調査を通して、日本の男女の問題で見えたことは?

女性の社会的地位については専門ではないので分からないが、セクシュアリティの観点で言うと、日本人のセックスは、雰囲気で始まることが多いと感じる。男なら、ぐいぐい強く押さなければならないし、女ならおしとやかにして、受け身な様子を演じたほうがよい、というような。そういう役割分担が広く浸透していると思う。

調査で行ったエクスプロア・ベルリン(3日間に及んでセックスやセクシュアリティにまつわるさまざまなことを経験するフェスティバル)などではありえない。まるで決闘を申し込むかのように対峙して「君が嫌だったら僕は絶対にしない、手も触れない」と、行為前に男性がはっきりと承諾の有無を聞いていた。それに対して女性も毅然として自分の意志をまず述べる必要がある。男女というものの立ち位置と、それに押し付けられている役割への執着は、日本の方が強いと感じる。

──日本でこれから異なる相手を受容する多様性のある社会や組織を築くためには、どのようなことが必要だと思うか?

与えられたさまざまな「役割」を超えることだと思う。相手のパーソナリティを見ることで、人間関係は更新していける。男、女、ということのみならず、仕事上での役職や、肩書き、その他もろもろの役割に捉われていると膠着してしまう。関係が固まる。ビジネスでも同じではないか。

人間関係はもっと柔軟なもの。動物にだってパーソナリティはあるのだから、人間全員にあるはずだ。

(著作は)ぶっ飛んだ内容ではあるが、一度思い込みをリセットし、頭を切り替えるのには良いと思う。ぜひ幅広い人に読まれたい。


期待される「役割」を超えて、一対一の対等な人間関係を築けた時に、新たな世界は広がる。特に外国人や異分野の人たちと切磋琢磨してビジネスを成長させるには、「パーソナリティ」こそが一番の武器になる。濱野の著作は、物議をかもすひとつのきっかけではあるが、日本が解決すべきジェンダーの問題だけではなく、未来に向けて本質的に必要不可欠なものを示唆してくれる。

編集=岩坪文子

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