【追悼掲載】坪内祐三さんが書いた「東西の名作文学が描く、死の目前に見る希望」

イラストレーション=スズキ シゲオ


『原っぱ』は池波正太郎には珍しい現代物です。

亡くなる2年前、昭和63(1988)年に発表された、いわば遺書代りの作品です。

しかし、「遺書」ではあっても暗くはありません。 

主人公は作者と同世代で今は引退している劇作家です(池波氏自身かつて新国劇の劇作家でした)。 

ちょうど時はバブルの頃。 

下町で生まれ育った彼の昔から知る風景や空間が地上げという名の“街殺し”によって消えていきます。少年時代からの友人も店を閉じ、埼玉のマンションに越して行きます。その友人は言います。「旅をしているつもりで暮らせばいいんだ」、と。

その彼が、古い付き合いのあった俳優市川扇十郎、そしてかつて彼の脚本で扇十郎も共演した名女優萩原千恵子と再会し、セミリタイヤしていた萩原千恵子から彼の芝居を最後に正式に引退したいと新作を頼まれます。 

それを引き受けた彼が脚本を書き始めた所でこの小説は終わります。結びの一行。

「何だか、このまま書いて行けそうな気がしてきた」。


おすすめの「逆転の文学」4冊

『イワン・イリッチの死』 トルストイ/著 米川正夫/訳 岩波文庫
『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』より後に発表された短編作品。官界における栄達、私生活の充実を目標としてきた一官僚が、ふとした経緯から不治の病にかかる。死を目前にした肉体的苦痛、心理的葛藤を克明に描きながら、すべての絶望から解放され、幸福に満たされる劇的な死の瞬間を描く。

『監督』 海老沢泰久/著 文春文庫
1978年、ヤクルトスワローズを優勝に導いた監督、広岡達朗を実名のままモデルとしたフィクション。主人公は常勝ジャイアンツに激しい闘志を燃やし、万年最下位チーム、エンゼルスを「勝てるチーム」に変えていく。

『クール・ミリオン』 ナセニェル・ウェスト/著 佐藤 健一/訳 角川文庫 ※絶版
1930年代大恐慌後のアメリカ現代人の憂鬱を描いた『孤独な娘』でも知られる孤高の作家ナセニェル・ウェストによる、1934年の作品。翻訳本は残念ながら絶版に。洋書は『A Cool Million』(Farrar, Straus and Giroux)。

『原っぱ』 池波正太郎/著 新潮文庫
『鬼平犯科帳』『剣客商売』の作家晩年の現代物。60歳を過ぎ、時代から身を引いていた劇作家が、戦中戦後を過ごした東京の街や演劇界の変わりゆく姿に惜別と寂寥を感じつつも、新作を書く決意に至る物語。


つぼうち・ゆうぞう◎1958年、東京都生まれ。「東京人」編集者を経て評論家、エッセイストに。稀代の読書家として知られる。著書に『文学を探せ』(文藝春秋)、2015年には『酒中日記』(講談社)が映画化。

編集=岩坪文子

この記事は 「Forbes JAPAN No.16 2015年11月号(2015/09/25 発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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