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シリコンバレーの「謎の大物」━━訳者より

ビル・キャンベルの姿を初めて見たのが2011年のスティーブ・ジョブズの追悼式だったという人も多いだろう。

アップルCEOのティム・クックに「ザ・コーチ」としてうやうやしく紹介され、誰よりも先に登壇した初老の男性。あの規格外の天才として知られるジョブズが無二の親友、メンター、コーチとして慕い、アドバイスを求めて毎週会っていたという人物だ。

涙ながらに、彼の遺志を継ぐ人たちを鼓舞する熱いメッセージを語るその姿は、世界に強い印象を残した。

実際、ビル・キャンベルの名前は、ビジネス書をよく読まれる方にはもうおなじみだろう。決定的に重要な場面で助言をしてくれた、精神的支えになってくれたという最大級の賛辞とともにたびたび登場する、謎の存在だ。

彼はシリコンバレーの長老のような権力者なのだろうか? ありがたいご託宣を授ける禅の導師? それとも人柄のよい好好爺?

結局、彼は最後まで表舞台に立つことなく、2016年に亡くなってしまった。

ビル・キャンベル自身の追悼式は、テック業界中の著名人をはじめ、彼を慕う老若男女が1000人以上集結するという、歴史に残るものだった。

エリック・シュミット、セルゲイ・ブリン、ラリー・ペイジ、スンダー・ピチャイ、ティム・クック、ビル・ゲイツ、ジェフ・ベゾス、マーク・ザッカーバーグ、シェリル・サンドバーグ、ジョン・ドーア、マーク・アンドリーセン……。


グーグル創業者ラリー・ペイジも追悼式に駆けつけた(GettyImages)

これらの人々を育て、そして何より彼らに愛された人物がビル・キャンベルなのだ。

本書はその追悼式の席で、「コーチの教えをシェアしなければすべてが失われてしまう」という危機感を持った人々によって執筆された。ジョブズと並び、コーチと最も親しく仕事をしてきたシュミットらグーグルの三人である。

彼らは『How Google Works 私たちの働き方とマネジメント』を書いたチームでもあり、その意味で本書はその続編として読むこともできる。実際、三人は本書を執筆するうちに、前作からはビジネス上の成功に欠かせない、ある重要な要素が抜け落ちていることに気づいたという。その要素こそ、ビル・キャンベルのコーチングのエッセンスである。

歴史上、空前のスケールの偉業を成した

『1兆ドルコーチ』というタイトルは、ビル・キャンベルがシリコンバレーで生み出した価値に敬意を表してつけられた。業界の多くのリーダーがどれだけコーチを頼りにしていたかを考えれば、このタイトルは誇張ではない。

彼がコーチングを始めた当時つぶれかかっていたアップルと、まだ小規模なスタートアップでしかなかったグーグルの時価総額の合計だけでも、いまでは1兆ドルを優に超える。シュミットは「ビルの貢献をすべて合わせると、コーチした企業の株主価値は2兆ドルにもなる。こんなことは歴史上、誰もしたことがない」と語る(「シリコンバレー・ビジネス・ジャーナル」2019年4月16日付)。

コーチがとくにグーグルとアップルに力を入れていた理由について、シュミットは、シリコンバレー全体への波及効果を考えてのことだったと語っている。また彼がこうしたコーチングを完全に無報酬で行っていたのは、報酬によって目が曇るのを避けたかったからだともいう。

シリコンバレーがこれだけ成長し、しかも政治とは無縁の健全な組織運営がおおむねできているのは、ビル・キャンベルの功績によるところが大きい。彼の死は、シリコンバレーの一時代に幕を下ろす意味を持っていたように思えてならない。

故人の教えを体系立ったビジネス理論のかたちにまとめるのは難しい。何より本人からのインプットはもう得られないし、教えが美化されることもあるし、遺族への配慮もあるだろう。だがコーチを受けた側の視点から学べることも多くある。本書では、彼のコーチングのエッセンスをシャワーのように浴びることで、誰もがビル・キャンベル的視点を身につけることができる。

シリコンバレーのリーダーたちは口をそろえて言っている。困難なとき、「ビルならどうするだろう?」と一歩下がって考えることにより、チーム全体の利益になる決断を下せるのだと。

この本はシリコンバレーからビル・キャンベルへのラブレターでもある。とくに3章からの数々の胸打たれるエピソードを読むと、彼にコーチを受けた人々の豊かな感受性に驚かされ、彼が大切にした「コーチャブルな資質」とは何だろうと考えさせられる。一人ひとりが悩みながら成長し、そこには必ずビル・キャンベルがいた。

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