ハリウッドの実録ものの常として、この「フォードvsフェラーリ」でも、実際の出来事や人物とは少し異なる脚色が施されている。シェルビーとマイルズのドラマを強調するために、 この2人でル・マンを目指して闘っていたように描かれているが、実際は、シェルビーはフォードのチーム全体にも関わっており、1966年のル・マンで、第1位から第3位までフォードの車で独占した立役者でもあった。
また、ある場面で、マイルズはエンツォ・フェラーリと視線を交わすことになるのだが(個人的には、この作品のなかでいちばん涙腺を刺激するシーンだ)、実際にはその場所にエンツォはいなかったらしい。そのあたり、実に巧みに作品はつくられている。
私事になるが、自分は、1980年代の終わりから90年代の始め、レースを追ってF1のサーキットを回っていたことがある。ちょうどマクラーレン・ホンダが全盛の時で、アイルトン・セナとアラン・プロストの確執が頂点に達していた時期だ。
実は、この「フォードvsフェラーリ」が描く、アメリカ対イタリアの自動車メーカーが闘うドラマを観ていて、圧倒的なドライビング・テクニックを誇るブラジル出身の孤高のセナが、ヨーロッパのF1界を体現するプロストにバトルを挑む姿が、記憶の底からよみがえってきた。
去年、ホンダが13年ぶりにF1での勝利を挙げたが、あの頃のような熱いドラマはそれほど感じられなかった。セナとプロストの時代以降、テクノロジーの開発競争となりつつある現代の自動車レースだが、映画「フォードvsフェラーリ」で感じたのは、懐かしさとともに、そこで流される人間の汗と涙だった。
連載:シネマ未来鏡
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