昨年フォーブス ジャパンが行った単独インタビューでは、生まれくる子どもにぜひ体験させたいことの一つとして、文楽鑑賞を挙げている。文楽ファンであることを公言している大臣が、文楽との出会いからはまった理由、独特の楽しみ方まで熱弁。話は子育て論にまで及び──。
文楽は、まるで村上春樹だ
「何だこの世界観は!」
それが、初めて文楽を観たときの印象です。最初は正直、違和感がありました。でも観ているうちに、文楽のもっている独特の磁場というか、何か見てはいけないものを見てしまうような感覚、そこに引き込まれました。
村上春樹さんの本を読んだときの感覚に、似ているなと思うことがあります。村上作品は読まず嫌いだったのですが、コロンビア大学院に留学していたとき、友達から「読んでみて」と手渡されたのが『海辺のカフカ』でした。はまっちゃいましたね。フィクションとノンフフィクションの狭間に連れていかれるような、あ、これが村上春樹ワールドか、という感覚がありました。
こんなことを言ったらコアな文楽ファンに怒られるかもしれませんが、文楽は、似ているんです。文楽は、現代と過去という時空の狭間を旅するような、あるいは現実と虚構の狭間、両方の狭間の絡み合う世界という気がします。
僕にとって文楽は、スイッチの切り替えなんです。現代社会を生きる多くの人が、現実の世界のさまざまな課題、悩み、ストレスといったものに晒されている。僕もそうです。文楽は、それとは別の世界があるよと、いったん、日常の世界を遮断する時間なんです。
ちょっと料理に似ている、とも思います。僕はアメリカにいた3年間、ひとり暮らしだったのでずっと自炊をしていました。結婚してからは、妻が妊娠していることもあって、僕が料理をすることもあります。それでいま、久々に料理をするときのあの感覚が戻ってきているんです。料理をしているときは余計なことを考えない。さあ冷蔵庫の残り物で何ができるかなとか、どうつくるかをただ考える。
文楽の時間も、僕にとっては、ほかの世界との遮断なんです。遊離という表現のほうが近いかもしれないですね。上演中はほかの一切を遮断して、仕事のことや悩みごと、日ごろ考えたいと思っていたことを、まとまった時間、考えることができる。 終わったら何を食べに行こうかな、なんてことを考えたりもしますけどね。
国立劇場のあの空間で、職場や日常からまったく違うところに身を置くと、日ごろは耳にすることのない太夫さんの語りが耳から、人形と人形遣いの方が舞台で生み出す情景が目から、そして三味線の音が──耳というより、脳天からつま先から、入ってくる感じです。
五感すべてを日常ではないもので満たしてもらいながら、日常のことを深く考える。これが、大事なことなんです。