新国立競技場で第1号ゴールを決めた男。藤本憲明を支え続けたものとは

Masashi Hara / Getty Images


真骨頂が発揮されたのは同38分の「2点目」だった。相手のクリアをカットしたMF山口蛍からボールを受けた右ウイングバックの西大伍が、間髪入れずに左斜め前方へクロスを送る。自軍のゴールへ戻りながら対応した犬飼の両足の間を、ボールが通り抜けた直後だった。

犬飼の背後に走り込んできた藤本が慌てることなく、相手のミスを予測していたように左足をボールにヒット。試合の流れをさらにヴィッセルに傾かせる、正真正銘の新国立競技場における第1号得点者に藤本はなった。試合後の取材エリアで、これについては「まあ…持っていますね」と藤本は声を弾ませた。

「本当に持っている、と思います。でも、ああいうところに走り込むとか、あるいはそういう場所にいるということが、何よりも重要だと思うので。そういう動きをこれからも続けながら、チームメイトたちと切磋琢磨して、次のシーズンはもっともっといい結果を残せるように頑張りたい」

日本中が注目する大舞台で、藤本が眩いスポットライトを浴びた理由が「持っている、と思います」に続けられた部分に凝縮されている。何も相手のオウンゴールを誘発し、さらには相手のミスを突いてゴールした瞬間にだけ、アントラーズのゴール前にいたわけではない。

ほんのちょっとでもゴールの匂いを感じ取れば、常に相手ゴール前へ顔を出していた。それも、マークしてくる相手ディフェンダーとさまざまな駆け引きを演じながら。守備でも一瞬たりとも手を抜くことなく、相手のボールホルダーへ真っ先にプレッシャーをかける泥臭い役目も担い続ける。

もちろん、昨夏に加入したヴィッセルだけで実践してきたことではない。自分の武器は相手ゴール前における動き出しの質の高さと速さであり、さまざまなパターンからゴールを奪える臨機応変なスタイルにある──その独自のストロングポイントを理解したうえで、藤本は自らのサッカー人生で絶えず実践してきた。

JFL、J3、J2、J1とステップアップ

藤本憲明は、ガンバ大阪ジュニアユース堺から高校サッカーの強豪、青森山田(青森県)をへて近畿大学に進むも、2012年春の卒業時にJリーグのクラブから声はかからなかった。それでもプロになる夢をあきらめず、Jリーグよりひとつ下のカテゴリーとなるJFLを戦っていた佐川印刷SCに加入した。

アマチュア選手として午前をサッカー部の練習に、午後を配送荷物の梱包作業を中心とした仕事にあてながら、必死にキャリアアップの道を探った。4年目の2015シーズンにはチーム最多タイ、リーグでは8位タイとなる9ゴールをマーク。自信を深めた矢先に、まさかの悪夢に見舞われた。

佐川印刷京都を経て、SP京都FCへと名称を変更していたチームが、運営法人である佐川印刷の社内構造の見直しなどを理由に突然の解散を表明。すでに結婚し、長女も授かっていた藤本はサッカーを続けられる道を必死に模索し、鹿児島ユナイテッドFCからのオファーを手繰り寄せた。
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文=藤江直人

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