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会社員、イタリア家庭料理の道をゆく


「ふふふ、他にも知りたいがあったらなんでも答えるわよ」

ほんと? じゃ、最初の日に出てきたあの肉料理は……と訊きかけたところで、マリアが廊下の方を見て大きな口をぽっかり開ける。

「ちょっと! 見て!」

振り返ると、廊下の棚の取っ手をじりじりと雲梯のように伝いながら、しっかりと2本足で立った息子がニッコリとこちらを見ているではないか。

「あなた、どうやってベッドから降りたの? 落ちたの? なんで泣かなかったの? もしかして歩いてきたの?」

これも、廊下の棚を利用したマリアのスパルタ筋トレの成果に違いないが、こうして自力でやってくるなんて、このキッチンには不思議な、そして絶対的な引力がある。

そう、マリアこそ、この家の太陽なのだ。

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タンスで筋トレをする息子

たった1週間の滞在で、息子が乳児から幼児への大きな1歩を踏み出したように、私もまた、料理の恩師マリアから、料理よりもっと大切なエッセンスを学ばせてもらった気がする。

あれダメ、これダメという日本の頭でっかちで神経質な教育論ではない。それは、ひたすら大らかで自由だけど、子供にとって真に大事なことを見失わないシンプルで堅固な子育てだ。

うんと一緒にいて、うんと旨いものを食べさせ、うんと愛する。「料理より大事なのは子供よ」とマリアは言うけれど、その子供のために大事なのも、やっぱり料理なのだ。

マンモーネ(ママっ子)の国イタリアの、偉大なるマンマであるマリアがつくる愛情たっぷりの「料理」をひたすら舌に叩き込むことができたことこそ、私にとってはどんなに長時間厨房に立つよりも有意義な料理修行だった。何より、そんなマンマとしての在り方を、マリア自身が身をもって私に教えてくれたことを、この先、私はずっと忘れない。

その後、マリアのカペッリ家を後にした私たちは、イタリア各地への挨拶回りを終えた後、育児休暇の最終日に帰国の途についた。

そして帰国した翌日、私が会社員としての生活を再び始めた日の夜、わが息子も、生まれて初めて、自分独りで2本の足でしっかりと歩き始めたのだった。

文=山中律子

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