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こうした成功の秘訣は何だろうか? それは成熟したソフトウェア企業、とりわけ他社が参入できないほどはっきりと目に見えて市場を囲い込んでいる企業にしか投資しないことだ。

「ソフトウェアビジネスの経済的合理性は非常に優れている。私がこれまでに調べたほかのどんな業界にもない特徴です」と、サンフランシスコの超高層ビルにある自身のオフィスでブラボーは語った。

トーマ・ブラボーは03年以降、230件のソフトウェア関連のディールを担い、その規模は総額680億ドル超になる。現在、同社のポートフォリオに名を連ねるのは38社で、年間総額約120億ドルの収益を生み出し、計4万人を雇用している。

ブラボーがソフトウェア業界における未公開株投資の魅力に気づいたのは、今から20年近く前。以来、ほかの産業には一切投資せず、ディールを重ねるたびに自分の戦略とテクニックを磨いていった。

投資先は、斬新なソフトウェア製品を持ち、リピート顧客からの売り上げが1億5000万ドル以上あり、マイクロソフトやグーグルなどの巨大企業が関心をもつには専門分野に特化し過ぎた企業だ。こうした企業の経営状態を改善することで、その規模を3倍に拡大することを目指しており、実際に対象企業の経営権を取得する頃には、すでに買収あるいは立て直しに向けた綿密な戦略を立てている。

「失敗」がひらめきにつながった

オーランド・ブラボーの物語は、貧しい身の上から大金持ちになった立身出世の物語ではない。スペインの植民地都市であるマヤグエスで生まれたときから恵まれた人生を送ってきたからだ。

祖父オーランド・ブラボーは45年にマグロ漁船の仲介業を立ち上げ、のちに父親オーランド・ブラボー・シニアが継いだ。ブラボーの両親は、ブラボーと弟アレハンドロをマヤグエスの丘の上に移り住まわせ、2人の兄弟はそこで私立校に通い、一家が所有するモーターボートで遊び回った。

ブラボーが8歳でテニスを始めると、より強い選手を相手に練習できるように、週末に一家はクルマで2時間半かけて首都サンフアンへ通った。ブラボーはすぐにプエルトリコ有数の選手となり、15歳でアメリカへと渡った。

その後プロテニス選手の夢をあきらめたブラボーは、名門ブラウン大学に進学。「授業についていけるかどうか不安だった」と語るブラボーだが、早々に頭角を現し、92年に全米の成績優秀者クラブ「ファイ・ベータ・カッパ」の一員として、経済学と政治学の学位を取得。そのおかげで卒業後はモルガン・スタンレーのM&A部門のアナリストという一流の仕事に就くことができた。同行では著名なディールメーカー、ジョセフ・ペレラの下で週100時間働き、下積みの経験をした。

文=アントワーヌ・ガラ 翻訳=木村理恵 編集=増谷 康

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