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2020.01.11

不運が幸運に転じるとき[田坂広志の深き思索、静かな気づき]


すなわち、人生を、幸運と不運、幸福と不幸、成功と失敗、達成と挫折、勝利と敗北といった形で、ポジティブな出来事とネガティブな出来事に分けて考えるかぎり、表面意識でどれほど強く、幸運、幸福、成功、達成、勝利を思い描いても、無意識の世界には、必ず、その対極の、不運、不幸、失敗、挫折、敗北といった想念が生まれるため、心の中のネガティブな想念は、決して消えていかないのである。

では、「二項対立的」ではない捉え方とは何か。

それは、人生のすべての出来事に「深い意味」があると思い定め、その意味を考えることによって、すべての出来事を受け容れ、肯定することである。

実際、人生を深く見つめるならば、幸運と不運、幸福と不幸、成功と失敗、というものは、それほど簡単に分けることはできない。なぜなら、我々の人生においては、しばしば、幸運は「不運な出来事」の姿をしてやってくるからである。

それは、昔から「塞翁が馬」の寓話として語られてきたことであり、その機微は、実は、読者の多くが人生の体験を通じて理解していることであろう。

そして、この「すべてを受け容れ、肯定する」という思想には、さらに深い世界がある。

かつて、実存主義の心理学者、ヴィクトール・フランクルは、ユダヤ人であったため、ナチスによって強制収容所に投獄され、両親と妻を殺され、自身も殺される寸前に奇跡的に生還するという過酷な人生を与えられたが、彼は、後年、『それでも人生にイエスと言う』という著書を遺している。

そこには、一つの極限の覚悟がある。

自分の人生が、いかに逆境や挫折に満ちたものであっても、それでも、それは、自分だけに与えられた、かけがえの無い人生。その人生のすべてを肯定し、そのすべてを愛するという覚悟である。

そして、もし我々が、その覚悟を定め、自分の人生を本当に愛することができたならば、そのとき、人生を二つの価値に分ける言葉、幸運と不運、成功と失敗といった言葉も、自然に消えていく。

そして、そのとき、目の前の人生の一瞬一瞬が、静かに輝き始める。

連載:田坂広志の「深き思索、静かな気づき」
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文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN 1月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

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