「国や社会に対する意識」18歳調査。日本と世界の回答に驚異的乖離

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泉谷氏は著書のなかで、時代が「不自由」から「自由」を目指すこと、つまりマイナスからゼロに近付くことが最優先課題だったフェイズを終えて、「ゼロからプラスに向かう」場合には、「必死で追い求めてきたはずの『自由』が『厄介な困難』として立ちはだかる場合がある」と書いている。そんな泉谷氏は、今回の調査結果をどう見るのか。

泉谷閑示氏
泉谷閑示氏

まず、「自分を大人と思う」の数字の低さを見たファーストインプレッションについて泉谷氏は、「やっぱりそうだったか、と思いました。これは『自分で国や社会を変えられると思う』の低さとも密接にリンクしているだろうと思います」と話す。

「一方で、大変意識の高い若い人たちもいるので、かなりはっきりと二極化しているのも事実」と前置きしたうえで、こうも言う。

「自分を大人だなんてとても言えないし、『責任』という言葉にも今ひとつ実感がわかないし、できればそんなものは避けたい。ましてや、社会を変えるなんて思ったこともないというのが、彼らの正直なところでしょう。彼らの受動的で『無力な』自己イメージがここに透けて見えてくる気もします。ただし、国の将来に対する悲観的なイメージについては、今の日本の現状を見た場合、私から見ても必ずしも楽観できるような流れでもないと思うので、若者たちの認識はこの点においては、むしろ『真っ当』であると言えるかも知れません」

夢を持っている人がきわめて少ないのも、それは彼らは国が「急速な右肩上がりの成長のピークを過ぎた」状態であることを敏感に感じ取り、従来のような成功神話を目指すメンタルセットは持ちにくく、むしろ個々人として「日々をどう無難に生きられるか」が主たる関心事になってきている表れではないかと指摘する。

このような虚無的で近視眼的な傾向は、調査対象の年齢をもう10年、20年上げても似たような結果になるのではないかと、泉谷氏は推測する。実は、就職難を経験したロストジェネレーション(1970年~1982年頃生まれ)のあたりから、すでにこういうトーンはじわじわと生じ始めていた印象があるというのである。

「つまり、今から25年前あたりまでの若者世代の意識は、この調査結果とかなり似通ったものではないかと思われるのですが、いわゆるバブル世代(1988年〜1992年あたりに就職した世代)のあたりまで遡って調査すれば、そこで初めて違う結果が出てくるのかも知れません」
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文・構成=石井節子

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