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2020.01.09 11:00

答えは「ユニークネス」。創立70年を誇る老舗企業に人が集まり続けるワケ

長野に本籍を置く上場企業は、延べ37社。その中に、もちつき機やホームベーカリー、門型洗車機など、暮らしに密着したユニークな商品を開発し続け、着実な成長を遂げている会社がある。それが、エムケー精工株式会社だ。

同社は、顧客の声を商品開発・改良に着実に反映させる体制を強みとするだけでなく、組織としても持続可能であり続けるために、働き方改革や健康経営などにも積極的に取り組む。

未だ東京に人材が集中する傾向は変わらない中で、長野を拠点とすることをハンデともせず、どのように優秀な人材を集め、どのように挑戦を続けてきたのか。

世の中の動きを大局的に捉える目を持ち、リーダーシップで会社の再建を果たした、代表取締役社長の丸山将一に話を聞いた。

リーマンショックに東日本大震災。度重なる試練で赤字経営に


丸山が、エムケー精工に入社したのは、2010年のことだ。リーマンショックの影響を受けた同社は赤字となり、苦境に立たされていた。

父親である先代からの命を受けて、東京から長野に戻った丸山。

「これまでと違うことをやってみよう」そんな構想を練っている最中に起きたのが、2011年3月11日の東日本大震災だった。

北海道から沖縄まで43拠点を構える同社は、仙台にも支店を構えており、大きな打撃を受けることに。リーマンショックの影響から元に戻らない中、追い討ちをかけるように襲いかかった大きな困難。多くの人が途方にくれる中、丸山はこう思い至る。

「もうこれが本当の底だ。後はもう上がっていくしかない」



とはいえ、3.11の前後で多くの会社が軒並み株価も売り上げも大きく下落させたように、エムケー精工も厳しい状況に直面していた。

当時丸山の家族が、会社が潰れて仕事がなくなる夢を見たというエピソードからも、その過酷さが想像できる。

そして、3.11からちょうど1年後の2012年に代表取締役社長に就任。売り上げは数10%減、赤字を抱えた状態に、融資元である銀行からは「外部環境も落ち込んでいるし、今後の見通しは大丈夫なんですか」と直接問いただされもした。

しかし、丸山は一切動じることはなかった。

東京で13年間、会社員として大和総研に籍を置き、上場企業を中心とする投資銀行関連業務に携わった。小泉内閣でも活躍した竹中平蔵氏の下で、慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所客員研究員を務めた時期もある。

国の動き、数多くの会社の戦略を自分の目で見てきたからこそ、表面的な情報だけに惑わされない強さを、持ち合わせていた。

前社長から180度の方針転換。ハシゴを“外す”マネジメント


本格的に社長として始動していく上で、大胆な改革に打って出た当時のことを、こう回想した。

「時代性もあるけれど、前社長は独特のリーダーシップで従業員を引っ張っていました。社長はすべての情報を掌握していて、トップダウンのマネジメントをしていたわけです」

その結果、社長の決断に寄りかかり、自ら考えない社員が増えてしまっていた。

丸山が最初にしたことは、そのピラミッドをひっくり返すことだった。「会社を成長させていくためには、トップダウンではなくボトムアップを強めること。中堅社員を育てないといけないと思いました」

会社を引っ張っていくリーダー層を厚くするために。自身はとにかく、支える立場に徹した。つい言葉が出そうになるところをぐっと我慢し、耐えることを選択した。

自分が意思決定した方が早い。もしかしたら正解を導き出せる確率が上がるかもしれない。なのになぜ、迷うことなく、支える・耐えるという決断ができたのだろうか。

すると、「意思決定は早いかもしれませんが、その後現場が動かなければ意味がないんですよ」とさらりと言った。



そして、笑ってこう続けた。「私の得意技は、ハシゴ外しなんですよ」

ハシゴを外すというと聞こえは良くないが、人を巻き込みやる気にさせた後、自身はそっといなくなり、当人が自律的に動くように仕向けること、なのだそうだ。

創立70年の老舗企業しか持ち得ない、誰にも真似のできない強さで戦う


リーマンショック以降の数年間はとにかく借金を返し、会社としての体力を蓄えることに集中してきたというが、そこもようやく落ち着き、2016年には自己資本比率は50%を超えた。中期経営計画も目標に向け順調に推移している。

これからについて話を向けると、創立70周年を迎えた製造業ならではの、答えが返ってきた。

「IT系のスタートアップ企業は工場を抱えることもないし、とにかく身軽に思い切ったチャレンジができる。

一方で、大手企業は人材の層が厚い。翻って我々は、卑屈になるわけでもないけれど、それなりに歴史がある地方の中堅企業。私たちなりの戦い方を選択しなければなりません」

長野県の中堅企業なりの強さとは一体、何か。

それは人にある。エムケー精工は43の拠点(2019年12月現在)を持ち、営業メンテナンス網を自社で、しかも正社員で抱える。

多くの企業では戦略上、メンテナンスや販売会社などを本体と切り離すことは珍しくなく、さらには正社員雇用としないケースも見られる。

しかし丸山は、このプラットフォームを自社の最大の強みと捉えている。

エンドユーザーに直接製品を届けることができるということは、エンドユーザーから直接声を拾い上げられるということ。

だからこそエムケー精工は、「これが欲しかった!」という真の欲求を、モノづくりとサービスで実現する、研究開発型メーカーとして存在し続けられるのだろう。

「営業にメンテナンス、設計に製造。全ては対等なんです。しかし、上場企業で直販とメンテナンスを自社に抱える会社は、そうありません。だからこそ、それが私たちの強みになる」

この丸山の言葉で、県内外から様々な人材がここに集まる理由がわかった気がした。巨大な組織ではないからこそ、一人が担う仕事の範囲が大きい。裁量権を持って、自ら事業を動かせることが、エムケー精工で働くことの醍醐味なのだろう。

「自分で考えて、自分でビジネスをデザインしたい人にはうってつけですよ。ここでは、歯車にはなり得ませんから」

「製造業でありサービス業であることを誇りに、規模の経済性ではない、ニッチな範囲の経済性で勝負していく唯一無二の会社になれればいい」。創立70年を経て一層、エムケー精工のユニークネスは加速していく。

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