40年住んだ家を売却へ 初老夫婦が再確認した「生き方」の原点


内覧会に次々訪れる買い手候補の、顔ぶれや行動も興味深い。

それまで高級メゾネット住まいだったのが、夫の仕事の金融関係が怪しくなってランクを落とした若い夫婦。訓練中の盲導犬を連れたレズビアンのカップル。間取りやアンティーク家具に次々ダメ出しを出す客に、買う気はなくただ不動産見学をしているだけの客。ソファに陣取って、勝手にテロ疑惑事件のTVニュースに見入る図々しい客もいる。

その間を縫って、各々の言い値を比較し、誰と取引するかを見極めるため、携帯片手に忙しく立ち回るリリー。こうした喧騒にうんざりし、この住まいで作ってきた夫婦の楽しい思い出に浸りがちなアレックスに対し、後半からはルースの少し辛い思い出シーンも挟まれる。

「私たち、自由に生きてきた」

人種差別が今よりずっと強かった時代に、家族に祝福されなかったアレックスとの結婚、欲しかった子供を諦めたことなど、彼女が乗り越えてきた過去を知ると、夫の健康を気遣って見上げる眼の真剣さが胸を突く。

そして、小さな口論はあるものの亀裂には至らず、すぐにどちらからともなく歩み寄り関係修復される夫婦の「あ、うん」の呼吸と、若い頃の微笑ましい回想シーンが重なって、40年という歳月の重みがじんわりと伝わってくる。

中でも印象的なのは、ある画廊経営者と夫婦が会食する場面。昔は絵が売れていたアレックスが今の流行には乗っていないとして、売れる絵を描くよう要請する彼に、ルースは敢然と反論する。

その後の夜道で彼女がしみじみと呟く「私たち、自由に生きてきた」は、周囲の雑音に振り回されず自分たちの価値観を大切にしてきたことを確認し、夫を励ます言葉だ。だがそれは実は、不動産売買を巡ってさまざまな情報に右往左往している、今のルース自身の足元に返ってくる言葉でもある。

次の住まいを見つけることで頭が一杯のルースは、自分の言葉の大切な意味にその時は気づけない。愛犬ドロシーの手術成功に安心した勢いで、アレックスを伴って不動産巡りを始め、良い物件が見つかるものの事態は紆余曲折する。


上映会に登場したダイアン・キートンとモーガン・フリーマン(Getty Images)

「損か得か」ではない二人の軸

終盤、二人の価値観を示す出来事が描かれる。一つは、売り出し中の自宅に最高価格をつけた客より、幾分提示額が低かったレズビアンのカップルの方に、ルースの気持ちが動くシーンだ。損得よりマイノリティに寄り添いたい彼女の情が伝わってくる。

もう一つは、テロ疑惑事件で姿を消していた運転手の若者が無抵抗で捕まった時、イスラム系人種への偏見と敵意を隠さない人々にアレックスが疑義を呈する場面。不毛な友敵感情にはっきりと楔を打ち込んでいる。

二人がちょっとした意見の食い違いを乗り越えてきたのは、互いのこうしたものの見方、軸を理解し合って生きてきたからだと思わせる。

最後の一山を越えて、ルースがアレックスの決断を尊重するのを、意外に思う人も多いかもしれない。ドラマとしても、「振り出しに戻る」はあまりない。

しかし彼女の笑顔は、自分の軸を確認しながら「今」を楽しんで生きる基本に立ち返った証だろう。そこには、「損か得か、敵か味方かという目先の判断を強迫的に迫る世の中から、距離を取って生きよう」というメッセージが込められている。

文=大野 左紀子

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