トップビジネススクールを卒業したとして、就職活動で競争相手になるのは、輝かしい職歴を持ち、同じトップスクールを卒業し、現地のビジネスをよく知っているネイティブ(もしくはヨーロッパだと数カ国語のバイリンガル・トライリンガル)である。
かつて私も挑戦したことがあるだけにその大変さを身をもって知っている。しかし、そんなハードルを乗り越えて活躍する日本人がいる。2011年にHBS(ハーバードビジネススクール)を卒業し、アメリカをベースにグローバルに活躍している吉川絵美さんだ。彼女はなぜ困難な道を歩いてこれたのか。人生を振り返りながら、どの選択肢が正しかったのかを語った。
──吉川さんのグローバルなキャリアはどこからスタートしたのでしょうか。
海外で長年働いているというとよく帰国子女かと聞かれますが、実際は海外とは無縁のドメスティックな環境で育ちました。でも、昔から好奇心は人一倍強い方で、外の世界への強い憧れがありました。大学時代には海外で活躍する人の本をむさぼり読んでいました。特に大前研一さんが、「現代のビジネスマンの3種の神器は英語、IT、ファイナンス」と書かれていたのに感化されましたね。とにかくまずは英語力を伸ばさなければいけないと思い、オレゴン州の大学に交換留学に行ったのです。それが海外で生活する初めての経験でした。
交換留学から帰ってきたら既に大学4年生の中頃くらいで、日本の一般的な就職活動シーズンには完全に乗り遅れていました。だからそれを逆手に取って、自分の興味のあるワクワクする分野に挑戦しました。英語・ファイナンス・ITに関連があり、かつアメリカに行く可能性の高い会社に入ろうと決意したのです。
運良く、以前から注目していた金融工学のパイオニア的な米国企業の東京オフィスに入ることができました。その当時、金融とITのインターセクションである金融工学がブームだったこともあり、ホットな業界でした。
──そこからどうやってアメリカに移ったのでしょうか。
入社してすぐに研修で1週間ほどアメリカに一人で行かせてもらえました。シリコンバレー的で自由な雰囲気のオフィスで、すぐに気に入りましたね。また、飛び抜けて優秀な人たちが多く、例えば宇宙工学から金融工学に転身した人など、いい意味でギークな人がたくさんいて、知的好奇心に溢れる職場でした。その出張の際に、現地のグローバルチームのヘッドに「アメリカで働かせてください」と直訴したのです。
その後、日本での仕事が認められて、入社してから2年くらいでアメリカに働かせてもらえることになりました。私がアメリカに行く直前、モルガン・スタンレーがその会社を買収しました。はじめはカリフォルニアのバークレーにあるオフィスで勤務していました。しかし買収された後は本社がニューヨークに移ったこともあり、その流れに乗って、「世界の金融センターであるウォールストリートで修行したい」と考え、ニューヨークに転勤することにしました。その会社では、東京で2年、カリフォルニアで2年、ニューヨークで3年働きました。