ビジネス

2020.01.06

家具から部屋、そしてまちへ インドネシアで都市開発に挑む日本人起業家

カマルクホールディングス 和田直希


和田はイベント会社を売上数億規模の企業へと成長させた後、08年に叔父が経営していたインドネシアの木工工場の株式の一部を買い取ってインドネシアに移住。移住当時28歳の和田が家具のOEM展開する企業へと進化させた同企業は、14年には、グループ全体で売上100億円弱、従業員1000人以上にまで成長した。

「家具のOEM事業は私自身の事業選択ではなかったので、事業が成長した段階で、自分の夢である『まちづくり』に進みたいとカマルクホールディングスを創業しました。なんども起業家、経営者として挑戦しているのは、ホームレス経験で『生きていることが幸せ』となり鈍感力が高まったことで難しいことが苦にならないこと。そして、夢を持ち続けること、夢を叶えた後の次の夢を大事にしているからかもしれません」

クリエイティブ・ディレクターとしての顔

和田には、こうした世界を舞台に進化し続けてきた起業家・経営者の「顔」とともに、第一線で活躍するクリエイティブ・ディレクターの顔も併せ持つ。その代表的な事例が、今回のIRAMAプロジェクトの発表会に応援で駆けつけたFukase率いるSEKAI NO OWARIであり、彼らが世界を舞台に活動するプロジェクトである「End of the World(エンド・オブ・ザ・ワールド)」のクリエイティブ・ディレクションだ。


和田はクリエイティブ・ディレクターの顔も持つ。代表的な事例はSEKAI NO OWARIのクリエイティブ・ディレクターだ

Fukaseとはバックグラウンドが近く、感覚が似ているという。和田と彼らとの付き合いは、6年間に及ぶ。SEKAI NO OWARIは幼馴染で集まって結成されたグループだが、発言には「(4人で活動し続けるために)過去を捨てて、過去を切り離していきていく」とあり、和田がIRAMAに込めた思いとシンクロするという。

起業家として「40歳でまちづくりを始める」という夢を叶えた和田だが、彼はすでにその先を見ている。

「時代がモノからコト。コトから人に変わってきている。人だけが自動化できない中で、いかに『人が輝けるか』。そういうまち、これまでないじゃないですか」

和田は最後に起業家としてこう話をした。

「スタートアップに必要な、今すぐ結果を出すという世界とは真逆の、世界規模で壮大な挑戦の道を歩んでいます。ただ、僕が死ぬ時には、カマルクが一番大きな企業になっていると思いますよ」

文=山本智之

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