三浦知良はなぜ「キング・カズ」と呼ばれるようになったのか

三浦和良(右)と松井大輔(Masashi Hara / Getty Images)

三浦和良(右)と松井大輔(Masashi Hara / Getty Images)

13年ぶりにJ1の舞台へ帰ってくる「キング・カズ」こと横浜FCの三浦知良。2020年2月の開幕直後には53歳となる彼は、1993年のJリーグ元年のピッチでプレーした唯一の現役選手となって久しい。彼が「キング」と呼ばれるようになった理由を紐解きながら、カズが歩んできた前人未踏の軌跡をたどる。
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「キング」との出会い

憧れを抱き続けてきたその「キング」は、一糸まとわぬ姿で、当時まだ十代だった無名の日本人少年・三浦知良の目の前に現れた。1982年12月静岡学園高校を1年で中退し、単身ブラジルへ渡る間接的なきっかけを与えてくれたのが往年のスーパースター・ペレだ。その初対面のシーンを、カズはいまでも鮮明に覚えている。

「めちゃくちゃ興奮しましたよ。初めてペレに会ったのは、僕がサントスのジュニアにいたころで、サントスのスタジアムの控え室にペレが何かの取材で来ていたときでした。撮影を終えてシャワーを浴びた直後だったので、ペレは真っ裸でしたね。当時40代だったペレの身体は、引退してしばらくたっているのに鍛え上げられていて、本当に素晴らしくて。それを見て、さらに興奮しました」
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ペレを輩出したサンパウロ州の名門サントスFCと、19歳になる直前のカズがプロ契約を結んだのが1986年2月。ジュニアにいたとなるとその直前か、あるいは1985年の後半あたりか。いずれにしても日本の元号は昭和で、日本代表のワールドカップ出場など夢のまた夢。プロを謳っていた読売クラブ(現東京ヴェルディ)が異端児扱いされていた、アマチュア全盛の時代だった。

日本サッカー界は、銅メダルを獲得した1968年のメキシコ五輪をピークに下降線をたどり、いつしか「冬の時代」と呼ばれるようになっていた。カズはそんな日本を飛び出し、ブラジルを目指した。手にしていたのは片道の航空券だけ。もしもプロとして大成しなかったときには生まれ育った静岡市に戻り、飲食店で修行すると親族たちと相談していたカズが、当時の胸中をこう語ったことがある。

「海外サッカーと言えば、僕のなかではイコール、ブラジルでした。そして、ブラジルのサッカーと言えばイコール、キング・ペレでしょう。僕は実際にブラジルへ行ったこともなかったし、いまと違って動画やブラジルを特集した記事がすぐ手に入る時代ではなかったけど、人から『ブラジル人はドリブルがものすごく上手い』とか、あるいは『1対1の場面では徹底して個人技で勝負する』と何度も聞かされているうちにブラジルのサッカーに憧れて、イメージしたプレーを真似て、という感じでしたね」
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文=藤江直人

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