日本のロックのルーツ
細野さんは1947年生まれ。立教大学在学中にベースを始め、1969年「エイプリル・フール」でデビュー。1970年大瀧詠一・松本隆・鈴木茂と「はっぴいえんど」を結成、日本のロックのルーツに。73年にソロ活動を開始、松任谷正隆らとも活動しました。
78年、坂本龍一・高橋幸宏と「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成します。コンピュータを駆使し、テクノというジャンルを生み出して世界中で大人気になりました。歌謡曲にも取り組み、松田聖子・中森明菜らに提供。YMO「散開」後はワールドミュージックやアンビエントミュージック(環境音楽)を探求し、作曲・プロデュースを続けています。劇伴作家としても知られ、近年は映画「万引き家族」の音楽を担当しました。
自然に人が集まってくる
筆者は1980年、YMOの武道館ライブに行く機会がありました。YMOが大人気だった同年、細野さんがプロデュースしたアルバム「イーティン・プレジャー」が日英で発表されています。その歌い手は、サンディーさん。10代をハワイで過ごし、74年に歌手デビュー、76年の世界歌謡祭でグランプリを受賞したシンガーです。およそ40年もの間、細野さんと交流してきたサンディーさんに、彼の素顔について聞きました。
「私は細野さんに、『歌う兼高かおる(世界中を旅してリポートしたジャーナリスト)』と呼ばれていたんですよ。彼は、ネイティブな英語の発音ができて、民謡のこぶしやロックも歌える人を探していました。ハワイやタヒチ・沖縄・インド、そしてニューオリンズの音楽を取り入れ、国境を超えたアルバムになりました。サンディーというシンガーを通して、新しい音楽の形を探したのだと思います」
その後、細野さんはサンディー&サンセッツというバンドのプロデュースも手がけました。サンディーさんは、のちにウニキ・クムフラ(フラの正統な継承者)となります。サンディーさんが開いたフラスタジオの発表会に、細野さんが足を運び、「竜宮城みたい」と楽しんでいたそう。
「彼は生粋のプリンス。すべてがオシャレで、好きな音楽を貫くプライドもあるけど、シャイで、奥ゆかしさがある。根が明るくて、コメディや笑いが大好きな人です。細野さんの人柄もあり、才能のある人が、彼の周りに自然と集まって来るのだと思います」