星野源、サンディーが語る細野晴臣の魅力 50年の音楽人生から見えるその功績

星野源さん(手前)と細野さんとの共演もある 公開中(C)2019「NO SMOKING」FILM PARTNERS

星野源さん(手前)と細野さんとの共演もある 公開中(C)2019「NO SMOKING」FILM PARTNERS

「風をあつめて」「風の谷のナウシカ」…。数々の名曲やYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の活動で、特にアラフォー以上の世代におなじみの細野晴臣さん。2019年に音楽活動50周年を迎えました。ストリーミング・動画配信サービスの発達により、細野さんの音楽に出会う若い世代や、海外のファンも増えているそう。細野さんと親しい音楽家たちが見た、その魅力は?

日本のロックのルーツ

細野さんは1947年生まれ。立教大学在学中にベースを始め、1969年「エイプリル・フール」でデビュー。1970年大瀧詠一・松本隆・鈴木茂と「はっぴいえんど」を結成、日本のロックのルーツに。73年にソロ活動を開始、松任谷正隆らとも活動しました。

78年、坂本龍一・高橋幸宏と「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成します。コンピュータを駆使し、テクノというジャンルを生み出して世界中で大人気になりました。歌謡曲にも取り組み、松田聖子・中森明菜らに提供。YMO「散開」後はワールドミュージックやアンビエントミュージック(環境音楽)を探求し、作曲・プロデュースを続けています。劇伴作家としても知られ、近年は映画「万引き家族」の音楽を担当しました。

自然に人が集まってくる

筆者は1980年、YMOの武道館ライブに行く機会がありました。YMOが大人気だった同年、細野さんがプロデュースしたアルバム「イーティン・プレジャー」が日英で発表されています。その歌い手は、サンディーさん。10代をハワイで過ごし、74年に歌手デビュー、76年の世界歌謡祭でグランプリを受賞したシンガーです。およそ40年もの間、細野さんと交流してきたサンディーさんに、彼の素顔について聞きました。

「私は細野さんに、『歌う兼高かおる(世界中を旅してリポートしたジャーナリスト)』と呼ばれていたんですよ。彼は、ネイティブな英語の発音ができて、民謡のこぶしやロックも歌える人を探していました。ハワイやタヒチ・沖縄・インド、そしてニューオリンズの音楽を取り入れ、国境を超えたアルバムになりました。サンディーというシンガーを通して、新しい音楽の形を探したのだと思います」

その後、細野さんはサンディー&サンセッツというバンドのプロデュースも手がけました。サンディーさんは、のちにウニキ・クムフラ(フラの正統な継承者)となります。サンディーさんが開いたフラスタジオの発表会に、細野さんが足を運び、「竜宮城みたい」と楽しんでいたそう。

「彼は生粋のプリンス。すべてがオシャレで、好きな音楽を貫くプライドもあるけど、シャイで、奥ゆかしさがある。根が明るくて、コメディや笑いが大好きな人です。細野さんの人柄もあり、才能のある人が、彼の周りに自然と集まって来るのだと思います」
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文=なかのかおり

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