息子への愛ゆえに、道を踏み外していく母の狂気と哀しみ


母親にとってトジュンが「良い息子」だとすれば、ジンテはその「良い息子」を悪事に引き込み罪をなすりつける「悪い息子」だった。しかし、ジンテが犯人では? との素朴な推理は当然のように外れ、逆に「アジョン周辺を洗って自分で犯人を挙げるんだ」とジンテから鼓舞されてしまう。

さらには、一生懸命その夜のことを思い出そうとしていたトジュンに、5歳の時の忌まわしい記憶が蘇ってしまい、接見に来た母親と口論に発展。


母親役のキム・ヘジャと、息子トジュン役のウォンビン(Photo by Tony Barson Archive/WireImage)

間違った犯人探しに、間違って召喚される記憶。雑な捜査で事件を片付けようとする警察と、頼りにならない弁護士。息子との決裂。追い詰められた母親は、やっとのことでアジョンの学友に近づき、ジンテの助けを借りてチンピラ達からアジョンの情報を聞き出す。

ここで、母親にとって「悪い息子」だったジンテは、むしろ頼もしい「強い息子」に変貌しており、トジュンは「良い息子」から「弱い息子」に後退している。

そして、それまでトジュンだけが社会的な弱者として描かれてきたのに対し、アジョンの秘密が明かされるにしたがって、最底辺に生きざるを得ない少女と彼女を取り巻く貧しく悲惨な世界の描写を通し、現代の韓国社会の姿も浮かび上がってくる。いやこれは韓国だけでなく、階層差が開いてきた日本にも当てはまることかもしれない。

迷宮入りしたアジョン殺し。このままだと、結論を急ぐ警察によって、トジュンは刑に服すか病院送りになってしまう。息子を盲信する母親は、ついにアジョン殺害の現場を目撃したと思しき老人の居場所を突き止める。

彼女にとっては愛するトジュンだけが生き甲斐であり、かつて思い悩んで幼い息子と無理心中しようとした負い目があるだけに、どうしても彼の疑惑を自分の手で晴らさないではいられないのだ。

だが、そこで意外な事実に打ちのめされた彼女は息子のために、大きく道を踏み外す。

皮肉にも、その後突然「真犯人」として警察署に拘留された青年は、母親から見ればトジュンと同じく「弱い息子」だった。それはもう一人の不運なトジュンと言っていい。

「弱い息子」から「さらに弱い息子」に嫌疑が移り、事件は「解決」される。

母親の行為に、トジュンが気づいているかどうかは明らかにされない。もちろん息子への真実の告白は許されないことだ。では、底知れない不安と恐怖と罪の意識に、母親はまっすぐ向き合い、悔やんでも悔やみきれない自らの愚かさを呪いつつ、この先果てしない苦しみを味わいながら生きるべきなのだろうか?

そんなことはできない、というのがこのドラマの答えだ。

母親は劇中、苗字で呼ばれることはあるが、クレジットにあるのは彼女の名前ではなく、普通名詞の「母親」である。そこには、「母」という立場が孕む強さの中の、脆さと哀しみが刻印されている。

文=大野 左紀子

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