ライフスタイル

2019.12.29 20:00

熟成鮨のパイオニア「㐂邑」マカジキの握り|心がふるえる一皿


ところが最近、その大傑作から、珈琲の香りがしなくなりました。それはある意味、「売り」であるわかりやすい特徴をなくすこと。でもそこには、御主人のより高い理想がありました。

御主人が目指したのは、看板メニューの特徴を削いででも、その魚が持っている味わいを昇華させて綺麗な凝縮感を出すこと。確かに、珈琲の香りがない方が純粋に旨味に集中できます。

味の凝縮感は強まっているけど、全く発酵感がなく、少しネットリと舌に絡みつくような食感ながら、決してグズグズではない。「マカジキ本来のポテンシャルってこんなあったのだ」と驚きます。これが御主人の言う、味・テクスチャーともに色気を感じる「エロ鮨」です。

うまくいっているものを変えるのは、誰しも勇気が必要です。それでも飽くなき向上心を持ち、恐れず突き進むのは、御主人の心の強さの現れ。そんな御主人を、僕はピカソに例えることがあります。なぜなら、ピカソの前にも後にもキュビズムをモノにした画家がいないように、御主人の前にも後にも「本当の意味での熟成鮨」を出す鮨職人を僕は知らないからです。

熟成鮨に至る過程もピカソに通じます。基本かつ本質的な技術を理解・習得されたうえで、血の滲むような努力の先に、全く新しい正解を見つけ出す。つまり、ゼロからイチを生み出されています。そしてそれは一度きりで終わりでなく、今でも毎日、家に帰る時間もないほどに遅くまで仕込みをし、仮眠をして豊洲に仕入れに行くという全力投球を続けてられています。

お客さんの反応がヒントに

ここまで読むと、㐂邑のお鮨を食べてみたいと思う方も多いかもしれません。同時に、最近の鮨事情に詳しい人は、「ミシュランも2つ星だし、食べログも全国のトップクラス。どうせ予約なんて取れないのでしょう……」と諦めの気持ちになるのではとも思います。

しかし、㐂邑に関しては、少数ですがインターネット予約サイトから席の予約を受けています。むしろ、昔支えてくれた常連を大切にしつつも、海外のゲストも含め、真摯に食べ物に向き合う新しいお客様を歓迎し、その純粋な反応──次なるヒントとなるリアクション──を楽しみにしているのです。

ただ、異常な天才はアクが強い。そして往往にして、口が悪い。でも、言っていることに筋は通っている。それは僕の知るあらゆる天才に共通しており、木村さんも例外ではありません。ちょっとクセがあり、小煩い鮨オタクが嫌い。特に男性は(笑)。

にもかかわらず、僕は、「死ぬ前に食べたいのは木村さんの鮨だ」と面と向かって伝えたことがあります。自分の「美味しい」の原点となったこのお鮨と僕自身は一生の付き合いをしたい。そのためにも、分かったような小煩いことを言って出禁にならないように気をつけなければ。この文章が一番危ない気もしますが。

文=松田拓也

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