日本有数のクリエイターを裏から支えた女社長の物語

尾留川祐子・W社長 写真:Hiro Kimura(W)


会社としての組織体制を作っている最中の2008年(47歳)、夫の原田澄ががんによる余命宣告を受けた。「余命3カ月」だった。

「いつだって、プライオリティは家族よりクリエイターだった」という尾留川代表が初めて、スタッフ達に「家族との時間を作りたい」と希望した。

「こんなに穏やかでゆったりとした年末年始は初めてだった」

1月8日に他界した。奇しくも母親と同じ命日だった。

それから月日が流れ、FEMMEを立ち上げてから20年。クリエイターやマネージャー、そして事務所の成長を感じる一方で、「優秀なクリエイターと優秀なマネージャーによる個人事務所の集合体」のような感覚になり、組織変化の必要性を感じ始めていた。

組織編成に考えを巡らせている時に、元スタッフの鈴木一成(当時スーパーソニック代表)から「合併してほしい」と相談を受けた。この頃のスーパーソニックは、レスリー・キーを筆頭に優秀なクリエイターを抱える一方で、経営的問題も抱えていた。合併話を持ちかけられる少し前(2013年)には、一般報道でも話題になったレスリーの逮捕(わいせつ図画頒布容疑)もあり、センシティブな時期でもあった。

「合併し、名前を変え、大きくする。違う発想で組織作りを始めるには良い機会かもしれない」。そう捉えた。

ただ当時のレスリー・キーにおける状況は対外的な危うさだけでなく、クリエイターとしての注目度も群を抜いていた。「きれいごとと言われるかもしれないけど、私が抱えるクリエイターはみんなスターだと思う。だから一人だけが目立ちすぎることない環境にし、新たなクリエイターやスタッフに安心して来て欲しかった」

そのためレスリーだけは、昔から担当していた鈴木が個人でマネージメントをすることで合意した(後に取締役副社長になった鈴木一成とは決別、レスリーは現在シグノに所属)

こうして事業名をFEMMEmanagementproduceから「W」に変え、第二章が始まった。同時に、従来のクリエイターマネージメント事業だけでなく、所属アーティストを束ねて広告制作を行うプロダクション事業、企業のブランディング・PR事業の3部門に事業を拡大。各スタッフに求めるのは「人をマネージメント(管理交渉)する意識ではなく、プロデュース(企画提案)する意識を持つこと」と教育方針も改めた。


Wのスタッフ陣 写真:Hiro Kimura(W)

時代にあったクリエイターの活用

現在「W」が擁するのは、クリエイター38組、スタッフ14名。組織の拡大も落ち着いてきた今、「企業との協業に興味がある」という。自前のクリエイターの才能を、印刷物やムービーといったビジュアル以外のアウトプットで活かしたいからだ。抱えるクリエイターについても「全く新しいジャンルも開拓したい」という。

この変化を恐れない前向きな好奇心こそが、移り変わりの激しいクリエイティブ業界の第一線を走り続けるエンジンなのかもしれない。
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文=砂押貴久

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