「性犯罪被害者の心理」を踏まえた判決
たとえ途切れ途切れの情報でも、それらを総合的に判断した上で、いわば「同意はなかったはずだ」という常識に照らし合わせ、さらに伊藤さんの心理を推察し、山口さんの行為の違法性を認定した。こうした「状況判断」の差が、民事と刑事での異なる結果につながったのではないだろうか。
伊藤さんの弁護団の一人、村田智子弁護士は「裁判所の認定は、性犯罪被害者の心理をよく踏まえている」と評価した。
ここからは筆者の論考だが、判決では「現在までに時折フラッシュバックやパニックが生じる状態が継続していることが認められる」とされた。支援者への報告会で伊藤さんは、4年たった今もPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされており、2019年7月には、伊藤氏と山口氏の本人尋問が行われる10日前に、自殺未遂をしたことを明かした。
自身のPTSDについて語る際、伊藤さんは涙を流しながら症状を打ち明けた
伊藤さんは、涙ながらに「計画していたことではなく、ふと足元を取られるような感覚だった。自分でも自分が理解できませんでした。あの時はもうダメかもしれないと、思ってしまいました」と振り返った。今は症状を和らげるため、薬を服用したり、ヨガをしたり、裁判中には小さなお守りのようなアイテムを握ったりしており、「自分の傷との向き合い方を知ることができた」と語った。
また、被害者が女性であることが多い性犯罪事件でも、肝心の捜査当局が圧倒的な男社会組織であるという事実も、「普通の感覚」や「常識」の欠如につながっているだろう。伊藤さんをはじめとした被害者の証言によって、警察の取り調べにおいて男性署員が見守る中で人形を使って被害状況を再現しなければならない、などセカンドレイプともいえる実態も明らかになってきた。
警察庁のデータでは、2019年現在で女性警視の割合はわずか2.7%。この状況が、捜査に影響を与えないとは考えにくい。
告発によって日本で広がった #WeToo
刑事事件における性被害認定のハードルは確かに高いが、今回の民事訴訟には、そうした現状に改善をもたらすであろう、2つの重要な示唆があった。
1つは、すでに述べたような、常識的に照らし合わせ、原告の心情を推察して判断材料にしたということ。もう1つは、伊藤さんが行った会見や著書出版を、公益にかなう行為と認めたことだ。
山口さんは、伊藤さんの週刊誌での発言や会見、著書などが名誉毀損にあたるとして反訴していたが、裁判所は、伊藤さんの告発を「自らの体験などを明らかにし、広く社会で議論をすることが、法的または社会的状況の改善につながるとして公表行為に及んだ」と判断し、山口さんの主張を退けた。
海外から火がついた #MeToo 運動が、日本でも展開されるきっかけとなり、SNS上での #WeToo や #WithYou という連帯を示すムーブメントや、性暴力を許さないと街頭で声をあげる「フラワーデモ」へと繋がっている。
被害者がセカンドレイプなどを恐れ、告発に踏み切れないことも多い日本の社会状況も、こうした考え方が定着することで変化していくだろう。伊藤さんも、カミングアウト後には「オンラインでの攻撃をされて悩んでいた」「女性から『同性として恥ずかしい。日本人としてこういう(性被害に関する)話はするべきじゃない』と言われたこともあった」というが、判決を受け、「社会が少しでも温かくなれば、声を上げやすくなると思う」と前向きに語った。
2020年には、性犯罪刑法の見直しの検討が予定されている。伊藤さんが空けた風穴が、今後どのように広がるのか注目したい。