文化的な生活のための論考


そこで出た「何かのコミュニティーに参加するのは、参加者各自にそれぞれのキャラクターが自然に割り当てられる、ロールプレイングをするようなもの」という言葉にピンときた。

スナックには「他のテーブルのカラオケにノっていい」「隣の人に話かけてもそこまで嫌がられない」など、なんとなく、場としての暗黙の了解がある。それはゲームや物語の「設定」みたいなもので、その場にいる自分たちに「役割と目的」を与えてくれる。

今回の「分かれ道」のように、共通の知人が主催している場なら、なおさらテーブルの垣根を超えて「盛り上がっていい」のだ。

場とコミュニケーションの多様化

そんな話を、また別の知人と話していた際に教えてもらったのが、平田オリザ氏の『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』と『演劇入門』の2冊だった。

劇作家・演出家として活動する平田氏ならではの視点で、「演じる」「伝える」という表現手法から見いだされるコミュニケーション論や、「対話」の必要性などが語られている。

『わかりあえないことから〜』の後半で平田氏は「本当の自分なんてない。私たちは、社会における様々な役割を演じ、その演じている役割の総体が自己を形成している」と述べる。

私たちは場やコミュニティーごとに無意識に自分を演じ分ける。そのどれもが「自分」なのだ。それは、演劇や心理学で「ペルソナ」、「仮面」や「人格」を意味する言葉で表現される。人は誰しも相手や環境に合わせた仮面を多く持ち合わせ、それらの総体として「自分」が成り立つ。

成長型から成熟型の社会となった今、価値観もライフスタイルも多様化している。ならば、ひとりの人間も多面的であっていい。

もともと人間は複雑な生き物だ。だが、画一的なことが良しとされ、マスがつくる流行や共同体の規則に従順だった時代においては、自分が持つ「多彩な仮面」に気づくきっかけがなかった。もしくは、気づいても抑え込まれていた。

それが、多様性が尊重される時代になって可視化され始めただけにすぎない。ひとりの人間が多くの仮面を持ち、そのときそのときで付け替え、場を選び、楽しむ。そこで出会う「他者」との接触が、生まれる「対話」が、新しいコンテクストを生み出し、それらを繰り返すことでまた新しい世界が形成されていく。

平田氏は言う。「この混沌とした世界を、解りやすく省略した形で示すのではなく、混沌を混沌のままで、ただ解像度だけを上げていく作業が、いま求められている」──この社会における演劇の役割の文脈で述べられた一文だが、私たちが多様な仮面を付け替えて生きることを推奨しているようにも聞こえる。

スナック「分かれ道」では、仕事上の付き合いがある人たちが、半分くらい仕事の仮面をつけたまま、仕事の延長線上にない「休日のスナック」という場に集まり、仕事やプライベートを超えて「いろいろ」を語りあった。そのうち、その場にあった仮面ができあがっていった。仕事でも遊びでもない、何か特別な空間と役割があった。

後日、参加してくれた人に会った際「あの熱量は何だったんだろうね」と言われた。その謎を探るため、新しい「仮面」を生み出すため、私たちは2回目のスナック開催を目論んでいる。

連載:文化的な生活のための論考
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文=川口 あい

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