このように、いつでも、そして周囲の誰に対しても本音で向き合ってきた。チームメイトだけでなく、敵として対峙した選手、そして敵味方双方のサポーター。すべてへリスペクトの念を抱いてきたからこそ、最後の1年はサンガのために粉骨砕身しながら、心のなかである「儀式」を繰り返してきた。
「最後の1年はファンやサポーターを含めた、すべてのクラブにかかわる方々に頭を下げながら『すみませんでした、最後までありがとうございました』と言っていました。結果的にJ2だけではありましたが、許可をもらえれば今後はJ1のスタジアムにも行って、まだ頭を下げていないファンやサポーターの方々へも『すみませんでしたと、ありがとうございました』と言いたいです」
「闘莉王以上の存在感を放った選手はいなかった」
12月1日に都内のホテルで行われた引退記者会見では、スパイクを脱ぐと決めるまでの経緯やいま現在の心境など、熱き思いの丈を静かな口調で語り続けた 。その場で、闘莉王は何度も声を途切れさせ、ハンカチで目頭を拭った。会見に駆けつけた日本代表時代の盟友で、ひと足早く昨シーズン限りで引退した中澤佑二さんは次のように言う。
「闘莉王が浦和でプレーしていたときは常に怒っているイメージが強くて、僕自身は『なぜいつも怒っているのかな』とずっと思ってきた。代表で一緒になって初めて怒っている意味がわかると、闘莉王の良さがどんどん理解できて、僕のほうが先輩ですけど、彼にいろいろと助けられ、学ぶことがたくさんあった。同じ時代に生きられたことを、僕は幸せに思っています」
2人が鉄壁のセンターバックコンビを組んだ、2010年の南アフリカワールドカップ。開幕前の国際親善試合で4連敗を喫し、当時の岡田武史監督の解任論が飛び交うなかで大会へ突入した日本代表は、鮮やかなV字回復を遂げ、2勝1敗でグループリーグを突破して決勝トーナメントへ進出する。
腹をくくった岡田監督が、中村俊輔を軸としたポゼッションスタイルから、堅守速攻型へ戦い方を180度転換させたことがピッチ上では奏功した。しかし、自信を喪失しかけていたチームを鼓舞し、内側から変えたのは、選手だけで開催されたミーティングで飛ばされた闘莉王の次のような檄だったという。
「オレたちは下手くそなんだよ。下手くそだからこそ、もっと泥臭く戦わないとダメなんだよ」
これでもかと闘う姿勢を前面に押し出しながら、周囲を敬う気持ちを常に欠かさず、チームにかかわるすべての人間が思いをひとつにすることを何よりも大切にしてきた。サンフレッチェ、ホーリーホック、レッズ、グランパス、サンガ、そしてアテネ五輪代表や日本代表で闘莉王が胸中に抱き続けたのは、時代や世紀をも越える普遍的な思いと言っていい、照子さんの教えでもあった日本人魂だった。