ノーベル文学賞受賞作家の妻の「誰にも漏らさぬ秘密」と自尊心

ジョゼフ役のジョナサン・プライスと、ジョーン役のグレン・クローズ。『天才作家の妻 40年目の真実』イギリス初日に。(Getty Images)


それ以降のジョゼフの小説は実はほとんどジョーンの手によるものでは? という疑惑を抱き、アメリカからストックホルムまで追いかけてきて彼らにつきまとうのが、記者ナサニエルだ。

一人でいたところを誘われたパブで、食い下がるナサニエルに対するジョーンの対応が見事である。「真実を公開しませんか?」という問いを彼女は、謎めいた微笑みで交わしてみせる。

ジョーンの唯一の願いは…

ジョーンにしてみれば、この期に及んでノーベル賞受賞者の夫の顔に泥を塗ることはできない。ナサニエルのような鋭い読者の存在を知っただけでも十分、という気持ちはあっただろう。

それより彼女が夫に直に訴えてきたのは、「妻なくして今の私はない。彼女は私のミューズだ」という、栄誉に輝く小説家がいかにもスピーチで言いそうな言葉を、決して口にしないでほしいということだった。

普通なら妻は、夫のその言葉を聞いて嬉しく誇らしく思うものなのかもしれない。しかしジョーンに限ってその台詞は、小説以外の私生活の領域での影のサポーターに、彼女を押し込めるものとなってしまう。すべての人がそう了解して拍手を送る、そのシーン自体が、彼女の自尊心を大きく傷つけるのだ。

もちろん今や歳老いて薬の手放せなくなったジョゼフの私生活全般を、ジョーンはきめ細かく手助けしている。それに完全に甘えきっているジョゼフが落ち着きなく情緒不安定なのも、この受賞を自分が独占することの後ろめたさゆえだ。

夫へのたった一つの願いが聞き入れられず、ついに爆発するジョーン。彼女の受けた屈辱は、先輩の小説家エレーヌの悔しさと響き合う。

だがすべてが終わった後、ノートの白いページを指先で撫でるジョーンが見せた、それまでにない瞳の輝きにハッとさせられる。それは彼女の人生第二章の幕開けを予感させて、美しくもミステリアスだ。

連載:シネマの女は最後に微笑む
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文=大野 左紀子

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