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ふとした時に頭をよぎる、生きている意味や「死んだらどうなるか」という問い。医学、宗教に答えを求めた著者がたどり着いた「気づき」とは。


秋が少し早く訪れている長野県茅野市の諏訪中央病院に講演に行ってきた。講演の題は「怖くない死を迎えるために」だった。2017年、『なぜ死ぬのが怖いのか?』(PHP研究所)という本を臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺(よこたなんれい)さんと書かせていただいたことが縁となり、呼ばれたのだ。

病院は死ぬところでもある。とはいえ、みんな死ぬのは怖いので治療方法が無かったり、あっても効かなかったり、また原因がわからなかったりすると、「死んだらどうなる」という不安に苛まれる。しかし、向き合う医療従事者もどう答えていいかわからない。

横田南嶺さんは鉄工所の息子だ。子どものころ、火葬場で燃やされる祖父を見て死の恐怖を強く感じたと教えてくれた。子どもながらに死の恐怖を克服する方法を考え続けた横田さんは、禅僧の立ち居振る舞いを見て「恐怖を解明するのはこれしかない」と10代から座禅をしているそうだ。

死に関する「情報」は自分の心の奥から引っ張り出すしかないと子ども時代に感じられたのだろう。鉄工所の倅(せがれ)は、禅寺に出入りするようになった。ご存じのように現代の寺は世襲制が多く、家を継ぐために修行することが多い中、彼は死の答えを求めながら一心に自分の心の中を見つめ続けた。

一方、私も子どものころは死が怖く、痛いのも嫌いな神経質な臆病者だった。そんな私は、死に関する情報は知識で外から学べると安易に考えてしまった。頭のそんなによくなかった私は「医学部に行けば、身体の知識が身につく。そうすると痛みを予防できるし、医者の友達がたくさんいれば最新の治療をしてもらえる。死に関する情報も学べば、死の怖さがなくなる」と考えた。

そして、2年浪人して医学部に入った。確かに医学部では病気の知識や治療の最前線を学べた。しかしそれは、病気になってからの対処法が多く、痛みがなく健康に長生きするための本質ではなかった。

そこで私は東洋医学の先生に学び、身体の仕組みを再度一から理解することにした。その後、横田さんと知り合い、死の情報は言語化できるものではなく、自分の心の奥から掘り出すものだとわかったのだ。

世の中は言語化できない情報にあふれている。生きている意味や仕事に対する思いなど「言語化できないものの核心」を人はどのように得ているのか。

私が禅僧から学んだことは「言語化できない情報はその情報をもっている人と時間を過ごすことである程度は伝わる」ということだ。

最近は以前のように仕事場以外で上司と過ごす時間が多いわけではない。そのためか上司がもっている言語化できないその仕事に関する情報を学ぶ機会は明らかに減っているように見える。どの時代よりも、検索、調べるという行為に重きが置かれ、また多くの人が簡単に実践している現代こそ、一緒に時間を過ごすことで学ぶ情報の大切さを再確認したい。


さくらい・りゅうせい◎1965年、奈良市生まれ。国立佐賀医科大学を卒業。元聖マリアンナ医科大学の内科講師のほか、世界各地で診療。著書に『病気にならない生き方 考え方』(PHP文庫)など

文=桜井竜生|イラストレーション=ichiraku / 岡村亮太

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