デジタル宇宙のファーストライト インターネット誕生秘話

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エリートだけがアカウントを持てた

当時の研究者はまだ、高価で利用時間の限られたコンピューターを独占的に使いたいと感じ、ネットワークから外部の人が入ってくることを嫌がる風潮はあった。

しかしアメリカでは、東海岸の大学で学部生を終えたら、西海岸で修士や博士を取って別の文化に触れたいと考える学生も多く(逆も同様)、4500kmも離れた古巣を結んで、昔のデータを利用したり、同僚と連絡したりしたいという要望があり、ARPAネットの中を流れるデータは、最初から旧交をあたためるショートメールやSF同好会の連絡であふれかえった。

当初このネットを使えたのは、国防総省から研究を認められたいわゆるエリート研究者で、彼らはARPAネットのアカウントを持っているだけで一目置かれる存在だった。80年代初頭に、筆者の古巣の朝日新聞社がMITメディアラボに研究出資することになり、ネグロポンテ所長が来日してそのメリットを宣伝するとき真っ先に挙げたのは、「ARPAネットのアカウントが使える」ということだった。

日本ではまだパソコン通信が始まったばかりで、それにどんな意味があるかまるで理解できなかったが、それは選ばれた研究者の勲章だったのだ。

ARPAネットは国防総省の予算で運営されていたので、当初から軍も利用しており、戦争などが勃発すると利用が制限される事態にもなったが、80年代にパソコンが登場して通信の自由化が世界的潮流にもなり、次第に科学研究のために切り離して広く使おうと全米科学財団(NSF)が各地のネットワークを、ARPAネットと同じ通信方式(TCP/IP)で相互につなげるように整備し始め、「インター・ネットワーキング」という言葉が使われるようになり、そのネットワーク全体を「インターネット」と呼ぶようになった。

ビジネス業界で使われていた大型コンピューターは依然として、自社の通信方式しか受け付けなかったが、国際標準機関(ISO)が電話時代の発想でOSIという標準方式を定めており、日本政府も当初はそれを採用し、政府機関のコンピューターに採用するよう閣議決定までしたが、重すぎて融通が利かず使えないまま絵に描いた餅になった。

いわばレガシーともいえる、IBMやUNIVACなどの恐竜のようなコンピューターが企業や政府機関で威張っている間に、パソコンというオモチャのような機械が哺乳類のように増殖し始め、ダメもとで通信する「ベストエフォート方式」であるTCP/IPが伸びていった。

コンピューター・サイエンスを標榜する大型コンピューターや人工知能を研究するエリートが無視していたパソコンは、一般にも普及することで80年代の末には大型機と小型機の市場が逆転する時代がやってきた。主にパソコンや中型のミニコンで構成されたARPAネットは、広く浅く普及していったものの、いまだに軍の予算で研究される未知の存在だった。
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文=服部 桂

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