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乳がんという「転機」


哀しみがわかるから、私たちは友達なんだと思う


智子は、初めて出会った18歳のときから、美人で、チャーミングで、構内を歩けば男女問わず誰もが振り返る、花のような人だった。びっくりすると丸い目を大きく見開いて「ショーゲキ!」と連発する癖がなんともかわいらしく、女子校出身者にはこういう人がいるのだとカルチャーショックを受けた。

わたしはノーメイク、智子はバッチリメイク。時代はバブル真っただ中。雑誌「JJ」の読者モデルの常連で、ラクロスのミニスカートも、ボディコンのワンピースもよく似合った。交友関係も、好きな遊びも、好きな男の子のタイプも全く違うけれど、違いを尊重しあえる関係だった。

智子に、「哀しみがわかるから、私たちは友達なんだと思う」と言われたことがある。当時は何のことかよくわからなかったけど、今はそうなのかもしれないと思う。

若い頃はなにかと危なっかしいところも多かったが、病気になってからの10年間は、強く大きく圧倒的な存在だった。亡くなる半年前の2月1日、息子の中学入試の日、息子が試験を受けている間、親は近くで待機しなければならなかった。

その待ち時間に、近所に住んでいるからと学校のそばまで出てきて、ランチにつきあってくれた。息子の調子が気になって、一人だったら落ち着かなかったであろう時間を、ただ一緒にいてくれた。そして、私のことを、母親としてちゃんと子どもたちを育てていると、褒めてくれた。

娘が生まれてからの15年間、仕事家事育児に追われて、自分の自由になる時間などほとんどなかった。その奮闘の日々を、丸ごと全部ねぎらってくれている気がした。

思えば智子には、日頃から娘のこともよく話した。娘は、生まれて間もないころに智子に抱っこしてもらって以来、智子に会うことはなかった。が、まるで会ったことがあるかのように、娘の性質を私以上に理解し、応援してくれた。娘には智子と会っておいてほしかった。

子どもがいないから、お金を使い切るんだ


病気になってからは、2、3カ月に1回のペースで会うようになった。いつも笑顔で、きれいで、背筋がしゃんとしていて、話をよく聴いてくれて、時に励ましてくれた。子どもがいないから、お金を使い切るんだと、世界中を旅して、キラキラの時計と指輪を着けて、一流のバッグを持っていた。

首元が痩せてしまって寂しいからと、いつもネックレスやショールを巻いていた。首元なんて気にすることない、今も変わらず、いやむしろ今のほうがずっときれいだから、とにかく首元なんてどうでもいいと、伝えたかった。

毎回また次も会えると信じたいから、話すトーンが深刻になるのを避けた。

彼女の初恋の人に再会しておくべきか、肺からたくさん水を抜いたこと、片肺は機能していないこと、おいしい鰻屋さんのこと、買い替えようとしている新車のこと、愛犬のこと、大学生のときみんなで行った修善寺の思い出、骨や眼にも転移していること、自分の遺産の扱いのこと、私に食べものの好き嫌いが実は多いという指摘、次の旅行の計画……いろいろな話を、すべて淡々と。

文=北風祐子、写真=小田駿一

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