World Restaurant Awards審査員


2畳ほどの広さの家は、1階が商店かつリビングとなっていて、所々に水たまりができた細い通路にはみ出して置かれた籠には、商品である生きた鶏が飼われていたり、バイクのシートを椅子代わりに質素な食事を摂ったりする人々の姿があった。

知らなければ、外国人観光客が足を踏み入れることはないであろうこの場所には、実はグエンの両親の家がかつてあり、彼らはここでドリアンなどのフルーツを売りながら暮らしていたという。そして、いまでも親戚がいる。「両親がここを出ていかなければ、自分は今どんな風な暮らしをしていたのだろう」とグエンは時々考えるという。


生活用品を扱う「コンビニ」のような店を経営する叔父とグエン

ベトナムと世界の食材を掛け合わせた料理

この場所を出て難民となった両親は、シドニーのリトル・ベトナムで、生活のために小さなレストランを営むようになり、4人の子供たちはみな、5〜6歳になると、店を手伝っていた。「無一文で渡ったから、生きていくのに必死だった」とグエンは語る。

もちろん、グエンも兄弟たちと同じく、その年頃になると、客の吸ったタバコがいっぱいの灰皿を片付けたり、店の掃除をしたりするようになった。肉の下処理などもするようになると、踏み台を持ってきて、自分の体がすっぽり入るような200リットルの巨大な鍋に、骨や野菜を入れてスープをつくったりもした。

食材がさまざま過程を経て、美味しくなる、そんな料理の魔法に魅せられて、12歳の頃には、ベトナム料理の店のオーナーシェフとなる夢を抱くようになった。そして、23歳の時、シドニーにカジュアルなベトナム料理のレストランを開店したのを皮切りに、いまはオーストラリアとベトナムに8つのレストランを持つまでになった。

「ベトナム人」として、ベトナム料理の素晴らしさを世界の人に伝える「架け橋」となりたい。その思いで、いま、世界を知るグエンならではの、ベトナムの上質な食材と世界の食材を掛け合わせ、モダンなテクニックを織り込んだベトナム料理をつくっている。

「40年前のドバイは、車よりラクダの数のほうが多かった。外国から資本が入り、いまは中東を代表する大都市になった。ザ・レヴェリー サイゴンのようなアイコニックなものをみせることで、ベトナムは投資する価値がある都市であることを示し、東南アジアを代表する大都市にしたい」というのがホテルの香港人オーナーの思いだと聞いた。

ザ・レヴェリー サイゴンは、そんな彼が描いた「未来のベトナム」というパズルの、最初の1ピースでもあり、現在と未来のベトナムをつなぐ「架け橋」でもあるのだろう。

ホテルの周りでも、大規模なビルの工事が続いている。頭上を見ながら歩いていたら、舗装のブロックが外れてできた穴につまずいた。そんなこの街の「素人」をよそに、器用に家族4人を乗せたオートバイが軽やかに横をすり抜けていく。

ベトナム戦争の終戦から45年が経ち、変わり続けるベトナム。豪奢なザ・レヴェリー サイゴンが、自然とこの街並みに馴染む、そんな日は思いの外早くやってくるのかもしれない。

文・写真=仲山今日子

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