「奴隷にならない」人生を決定づける大学生活の送り方

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9月末、以前このコラムで書いた岩松遼君が、医療ガバナンス研究所で半年間のインターンを終えた。

岩松君は浜松医科大学の1年生。運悪く留年し、1年生を繰り返すこととなった。前期は講義がないため、実家の東京に戻っていた。父親が筆者の東京大学運動会剣道部の1年先輩という縁で、指導を依頼された。

当初は、挨拶すら十分にできず、メールなどで指示したことにも返事をしないことが多かった。何がやりたいかはっきりせず、目標を見失った学生に見えた。

ところが、半年間のインターンで、岩松君は見違えるように成長した。9月中旬には、我々のチームの一員として、上海の復旦大学とのシンポジウムに参加し、日本の医学生の現状について発表した。

同行したスタッフの荷物を率先して持ち、中国人研究者とも積極的に交流した。さらに空いている時間には上海の街を歩き、見聞を広めた。指示待ちだった岩松君が明らかに変わった。

私は岩松君にとって、留年したのはいい経験になったと思う。なぜなら、自分で何を学ぶか考える好機になったからだ。


上海にて。復旦大学との合同シンポジウム修了後。左から二人目が岩松君

私は平素から指導する学生たちに「すべての授業に出てはいけない」と強調している。

それは、人生は判断の連続だからだ。読者の皆さんも「どの会社に就職するか」、「誰と結婚するか」など多くの判断を下してきたことだろう。判断には成功もあれば、失敗もあったはずだ。我々は失敗を繰り返して、成長する。とくに大人の仲間入りをする大学時代には失敗を重ね、挫折することが大切だ。

大学は、多様な教育の機会を提供している。講義や実習はもちろん、クラスメートとの交流、クラブやサークル活動、さらにアルバイトやボランティアなども、広義の意味で大学での教育と言って差し支えない。

私は、大学教育の目的のひとつは、前述のような活動を通じて、自分の頭で考える人材を育てることだと考えている。そのためには自分で判断し、失敗を重ねなければならない。講義に出席するか、自分で読書するか、アルバイトに行くか、あるいはデートするか。これらもひとつの選択だ。
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文=上 昌広

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