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現場からの医療改革


「暇」な時間が自立を育てる

では、どうすればいいのだろうか。私は、大学生が成長するには、「暇」が必要だと思う。そして、教員は、「暇」を持てあました学生が試行錯誤するのを、見守る必要があると考えている。

私事だが、私は大学2年生の夏、剣道部の練習中にアキレス腱を断裂した。それから約2カ月、松葉杖の生活を送った。兵庫県尼崎市の実家、あるいは東京の祐天寺の下宿ですることがなく、とにかく暇だった。この時期に、私は多くの本を読み、映画を観た。これが、私の人格を形成するのに役立った。

大学時代の私は劣等生だった。剣道部の活動にかまけて、講義にはほとんど出席しなかった。試験も追試で通ったものが多い。実習も最低限しか出席しなかった。当時、自分がなぜ医師になろうとしているか、わからなかった。大学の講義や実習にはまったく興味がわかなかった。

ただ、いまとなって良かったのは、暇だけは十分にあったことだ。多くの人と会い、そしてさまざまな試行錯誤を繰り返した。このような活動を通じ、幾分かでも思考が熟成され、多少は成長したのではないかと思う。私にとって、大学時代がもっとも暇で、そしてもっとも考えた時期だった。

では、現在の大学生は、どうすればいいのだろうか。私は「暇な時間をつくるように」と言っている。具体的には「どの講義に出席するか」、「なぜ、出席するか」、「そこで何を学ぶのか」を考えて、重要性が低いと判断した講義は欠席することだ。そして、その時間を自己研鑽に充てる。

これは、大学生が自立的に考え、「大学の奴隷にならない」ことを意味する。大学で学ぶのは、そこで学問を修め、自己を成長させるためだ。この際、主体はあくまで学生だ。何を学ぶかは、本来、学生が自分で決めるべきだ。

このような姿勢は、社会に出てからも役立つ。それは、我々は、一生、学び続けなければならないからだ。一生を通じて、何を学び、何を学ばないかという選択を繰り返す。大学時代は、そのような判断の練習の時期と見なすことも可能だ。

私は、大学が用意するカリキュラムは、学生が学ぶ材料のひとつに過ぎないと考えている。ところが、私の周囲を見ていて、このように考えている学生は少数派だ。なかには、大学の定めたカリキュラムに盲目的に追従し、暇ができると、不安になって医師国家試験の受験勉強をやってしまう人もいる。このような人が、傍目には「真面目」と評価され、大学の試験の成績も優秀となる。

ただ、私の個人的な経験から言っても、このような学生は、その後、成長しない。自分の頭で考える癖がついていないからだろう。

結局、学問は自分でするものだ。とくに医学では、この点は強調しなければならない。なぜなら、自分で学ばなければ、日進月歩の医学にはついていけないからだ。医学部の学生の時代に、どれだけ詰め込んでも、その後は自ら学ばねば、すぐに時代遅れになる。

何も考えない医師は、学会や医師会、厚労省などの権威に頼る。「生涯学習カリキュラム」や「専門医制度の更新」など、他者の定めた学習内容を盲信する。新聞や本はもちろん、「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」や「ネイチャー」などの専門誌にも目を通さない。これでは、まともな医師になれるはずがない。

学問は、強制されてやるものではない。私は、そのための訓練をするのが大学だと考えている。医学部も例外ではない。岩松君が過ごした半年間のような時間が必要だ。

連載:現場からの医療改革
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文=上 昌広

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