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現場からの医療改革


これまで、大学はじっくりと時間をかけて、学生たちにこのような機会を提供してきた。ところが、昨今の大学教育からは、このような余裕がなくなってきている。

とくに医学部は、その傾向が強い。それは、医学の進歩は急速で、医師になるために学ばねばならないことが増えているからだ。私の学生時代には、いまや常識となったゲノム個別化医療などの概念はなかったし、免疫学の教科書は現在の半分以下のボリュームだった。

このような医学的知識の修得に加え、最近は医療制度やコミュニケーションなども、大学時代に学ぶ。さらに、病院実習の時間も増えた。医学部4年生では、臨床実習に就くために、客観的能力試験(OSCE)とComputer-based testing(CBT)という試験をクリアしなければならない。

医学部の授業は、ほぼ必修科目で埋まっていて、選択科目はほとんどない。多くの医学生は、早朝から夕方まで、講義と実習で忙殺される。大学1、 2年生の教養の講義を減らして、専門科目を教えるようになっている大学も珍しくない。

果たしてこれでいいのだろうかと、私は危惧している。

「医学」は純然たる自然科学の側面があるが、「医療」は社会の営みだ。相手にするのは、それぞれ個別の生活を営む患者だ。一人前の医師になろうと思えば、彼らの立場を理解する社会常識が必要だ。このような教養教育は、従来、大学が提供してきた。ところが、いまの大学は、この責務を放棄せざるを得ない状況に追い込まれている。

このことは、学生たちにも悪影響を与えている。それは、医学生の多くが真面目だからだ。入学当初、多くの学生は「授業は真面目に、すべて出なければならない」と思い込んでいる。おそらく、彼らは、父兄から「大学に行ったら、真面目に授業に出て勉強するように」と教えられてきたし、高校までの授業の延長線上で、大学の講義を考えているのだろう。

朝起きて大学に行き、夕方まで授業を受ける。夕方からはサークルか、アルバイトをして、自宅や自室に帰る。そして、少しだけくつろいでから寝る。これでは、他人から与えられたカリキュラムを黙々とこなしているだけだ。

確かに、大学の成績は上がるだろう。ただ、これは受験勉強の延長で、そこに主体性はない。こんなことをしていると、自分の頭で考えることができなくなる。そして、医学には詳しいけど、教養や世間の常識に欠如した社会人になってしまう。

問題の一端は教員にもある。最近の大学の教員のなかには、自己の責任を回避するため、授業の出欠をとり、テストで出席点のウェイトを高くする人もいる。私には、この状況は、学生の出来が悪く、国家試験の合格率が下がった場合に、その資質に問題があったと言うための言い訳を準備しているようにしかみえない。つまらない講義をしていながら、試験や出席点で縛りつけても、学生のためにはならない。

文=上 昌広

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