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山中 慎介氏(第29代WBC世界バンタム級王者)

実は僕、けっこうサボるタイプなんです───“神の左“を武器に、世界最強の名を欲しいままにした天才ボクサー。山中慎介は、無敵の印象とは裏腹に、もがきながらも前進を続けた「挑戦者」であった。積み重ね続けたタイトル防衛戦での勝利。「これは〈防衛〉じゃないんです───」その意味を知り見えてくる物語。山中慎介という男、一人の人間としてファンになるしかないじゃないか。
(以下 ハンティング・ワールド 特設サイトより転載)



“サボり気質”のある世界チャンピオン

WBC世界バンタム級チャンピオンの栄冠を手にし、12回もの王座防衛を成したボクサー、山中慎介。相当にストイックなのかと思いきや、意外にも、「サボりますし、私生活は超ルーズなんです」と笑う。山中はそんな自身の性格を理解しているからこそ、あえて自分をハードな状況に追い込んできたと話す。

「高校進学の時、南京都高校(ボクシングで全国優勝を重ねる強豪校)を選んだのも、専修大学を卒業する時に帝拳ボクシングジムに入ってプロ入りを選んだのも、自分のモチベーションを上げる為にあえて厳しい環境に自分を置くためでした。高校の時に日本一になって、推薦で大学に入ったのですが、燃え尽きてしまったのか、大学4年間は明確な目標を作ることができず、ただ練習をこなす日々を過ごしていました。卒業する頃には、実はかなり冷めていて、地元で就職活動もしていました。ただ、4年生の時の国体で1回戦負けを喫した時、本当に自分のボクシング人生をこれで最後にしていいのか?と考えたのです。自分の中でくすぶっていた思いが再燃し、もう一度チャンピオンを目指すために、「プロ」になるという、はるかに過酷な環境に自らを追い込む道を選びました」



プロデビューを果たした山中慎介が、日本、そしてのちに世界を獲るボクサーになるということを、山中本人以外は誰も信じてはいなかった。それほど、デビューしてからは思うような試合ができず、かなり長い期間、苦しい思いをしていたと語る。

「プロになってから負けることは無かったのですが、キャリア序盤の試合内容の悪さは、大学4年間サボっていたツケだと感じていました。でも、自分はプロになる時に『日本チャンピオンになる前に負けたら、ボクシングを辞める』という覚悟でいたので、たとえ試合内容に満足しなくても、毎回、次はもっとできる、次はもっと見せられる、と思っていました」

インタビューに答える山中選手の横に、ハンティングワールドのトートバック

プロになって4年目が過ぎたあたりから、山中の試合内容が良くなり、KOを重ねるようになる。そして2010年に日本チャンピオン、2011年に世界チャンピオンの座を獲得することになる。一体、何がきっかけで、山中のボクシングキャリアが好転したのだろうか。

「試合内容が良くなってきたのは、自分の悪いところ、良いところが客観的に分かるようになり、それを踏まえたうえで練習ができるようになったからかもしれないですね。試合中はメンタル的にもかなり追い込まれるので、いつも余裕が無くて、1分のインターバル中にもトレーナーとまともに話せなかった。けれど、練習内容が充実してメンタル的にも余裕が出てくると、次の攻め方の戦略を相談できるようになり、より効果的な試合ができるようになりました。そして日本チャンピオンになったあたりから、練習でしか打てなかった、自分の最大の武器、”左ストレート ”を、実際に試合で打てるようになった。これはフィジカルトレーニングで下半身を強化してきた自分への自信が、メンタルを強くしたからだと思います。色々な要素がうまく絡み合って、世界チャンピオンになることができたのだと思います」

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自分にとっては「防衛戦」ではなく、全てが新しい「挑戦」

世界チャンピンになった山中が次々と防衛に成功すると、具志堅用髙の持つ「13回の王座防衛」を達成するのではとメディアは騒然とした。

「僕は“防衛”という言葉が好きではありません。いかにも自分の地位を守る、という印象がイヤだったんです。だから自分では、”防衛”は守ることではなく、次の試合への挑戦だと考えていました。そうやって自分を追い込んで、奮い立たせないと、サボっちゃうような人間ですから(笑)。 だから僕が10回の防衛戦に勝ったあたりから、マスコミが「具志堅の記録まで、あと〇勝!!」みたいに注目されるのが、正直しんどかったです。自分にとっては、記録は関係なく、一つひとつの試合が大事なのです。試合ごとに反省もありますし、それを修正して新たに強くなった姿を見せたい、というのが試合を続けるモチベーションになっていました。現状を守るというのではなく、次のステージに登るということを目指したかったのです」



29歳で世界チャンピオンになった山中は、決して若い年齢ではなかったけれど、振り返れば、それが良かったのかもしれないと語る。

「もし若い時にチャンピオンになっていれば、もっと色々できたのかもしれない。でも、大学4年間くすぶっていた時間や、すぐに日本チャンピオンになれず試行錯誤してあれこれ考えていた時間があったからこそ、自分の経験値が上がり、12回の防衛を成し遂げられたと思っています」

次のステージに挑戦できる人こそが結果を残せる

今回の撮影で使用したハンティング・ワールドのアイコン『バチュー サーパス』のトートバッグを「オールブラックがシックでカッコいい!めちゃくちゃ軽い!!」と絶賛した山中に、ブランドの創設者ボブ・リー(ロバート・M・リー)と自身の共通点について聞いてみた。



「僕と、彼のやってきたことは全く違います。けれど、共感する部分はたくさんあります。周りから無理だ、無茶だと言われても、自分が体験してみないと分からないし、できないものってありますよね。僕はチャンピオンになった時に輝けましたが、そこに至るまでの努力は壮絶なものでした。ハンティング・ワールドが素晴らしい製品を作る世界的なブランドになるまでに、ボブ・リーさんも、努力、挑戦を繰り返してきたのだろうと思います。新しい発見を求めて、飽くなき探求を続けられているところは、さらに強くなるためにどうしたらいいかを探求し続けた、自分のボクシング人生とも重なるような気がします。結果を出せるような人は、常に挑戦し続ける人なんだと思います」


山中慎介◎1982年滋賀県生まれ。南京都高校(現・京都廣学館高校)、専修大学とボクシングを続け、2006年プロデビュー。2010年第65代日本バンタム級、2011年第29代WBC世界バンタム級の王座を獲得。12年4月、初防衛。その後、日本男子歴代2位の世界王座12連続防衛を果たし、18年に引退。プロ戦績は31戦27勝(19KO)2敗2分。


持つ者の印象をグッと引き締める黒がシックな大容量のアウトドアトートバッグ。底鋲付きなので安定感があるのは嬉しい。2段階ある手持ちを調整して肩掛けも可能。[バチュー サーパス]トートバッグL ¥145,000(税別)

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今年9月にはラグビー元日本代表ヘッドコーチ エディー・ジョーンズ氏とのコラボレートバッグが発売された>

エディージョーンズコラボレーションモデルを持つ、エディー


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Promoted by ハンティング・ワールド / Photographs by Keiji Hirai / Text by Etsuko Mashiro

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