ビジネス

2019.12.10

日本のベンチャーで働くスウェーデン人が企業の海外進出を成功させたワケ

David Bergendahl氏


日本企業が陥りがちな情報と指示の格差


KAIZENのチームメンバーと、最優秀月間チームに選ばれた祝勝で。左から坂田真さん、岡部 達也さん、デイビット本人

当時、KAIZEN Platformのメンバーは5人だけで、数年間は目の回るような日々を過ごしました。社員に昇格して最初の6カ月は、CEOと事業開発責任者と自分の3人でサンフランシスコの現地法人の立ち上げに専心しました。

チームの仲間とは英語でコミュニケーションを取り合いながらでしたが、言語の壁はそれほど感じませんでした。海外事業を軌道に乗せるという共通の目標があったので、チームワークはよかったと思います。CEO自身が現地に赴いて意思決定するので、物事を進めるスピードがとても早かったことを覚えています。

サンフランシスコと日本を往復しながら、カスタマーサクセスのマネージャーとして、アメリカの顧客のサクセスを支援しました。現地では一戸建てを2〜4人でシェアして暮らしていました。

もちろん苦労もありました。グローバルメンバーが増えてきたときにはとくに大変で。アメリカの上司に承認を得て、ある案件を日本の上司へと報告したら「認めない」と言われたことがありました。これには、日本企業が海外展開する際に、陥りがちな事情があったのです。

欧米への展開の際には、距離や時差の関係から情報の格差が生まれがちです。加えて、慣習やユーザー嗜好の違いによって、事業の優先順位も異なります。こうした違いを認識せずに、現地の判断が尊重されないまま、日本にある本社の担当者の承認を優先していくうちに、日本と海外のスタッフの間で摩擦が生じるようになりました。

この格差の状況について、私は現地法人の同僚と一緒に日本の経営陣に何度も訴えました。そうしたことで、日本から社員が派遣され、やっと私たちの懸念が事実だと認識してくれるようになったのです。

こうした試行錯誤を経て、アメリカ進出から2年ほどたったころ、ようやく会社全体にグローバルカンパニーとしてのカルチャーが形成されていくようになりました。経営陣のひとりには非日本人を招き、会社をグローバルに成長させたいと思う人だけを採用するようになりました。日本人スタッフも全員が英語を話せるよう努力するようにもなりました。

インターンとして入社してから4年、アメリカでの事業が軌道に乗り、「やりきった」と達成感を持ったちょうどそのころ、本社からサンフランシスコに定住するように命じられました。そのときはまだ日本で暮らしたかったので、思い切って転職することにしました。

とはいえ、社会人として最初に出会った会社がベンチャーで、そしてKAIZENだったのはとても幸運でした。当時、選べる立場だったとしても、大企業へは転職しなかったと思います。それくらい、多くの学びと成長がありました。テクノロジー業界に入ったことも、人生で最も幸せな偶然の出会いだと思っています。
次ページ > 倫理的観点の違いが問題になることも

文=夏目 萌

ForbesBrandVoice

人気記事