森達也「表現の不自由」問題を斬る。なぜ自粛が広がり、炎上するのか

森達也監督


──ネット空間において集団化する「ネトウヨ」と呼ばれる人たち、あるいはその現象をどう捉えていますか。彼らにはどのような心理が働いているのでしょうか。

匿名である彼らは、インターネットの中のバーチャルな集団の一員として安心感があるのかな。だからこそ自分たちとは異なる集団に対して、敵視して、罵倒して、嘲笑する。なぜなら集団は同質性を求めます。自分とは違う人たちとは距離を置きたくなる。つまり集団化と分断は同時並行で起きます。これは日本だけではない。9.11以降は世界の大きな動きになっています。

「ネトウヨ」という言葉を使っているけれど、彼らの多くには確固たるイデオロギーなどない。集団化してマジョリティの一部として、マイノリティを見つけて罵声を浴びせて排除したいと思う人たちです。それ以上でも以下でもない。

──人種差別など、事実に基づかないバッシングが多く見られます。私自身も北朝鮮の最先端の文化に触れたい女性たちをある特集で取り上げた時、「国外追放せよ」「○○人だ」などとネットで書き込まれましたが、論理が破綻していて、理解しようにもできませんでした。

論理ではなく集団化への情動です。自分たちは「正義」だと本気で思っているのかな。

現在の世界秩序において、国家は集団のラスボス的な位置にいます。その国家の利益を害するものは許さない、それが正義だと思い込んでいる。国益という言葉がこれほどポピュラーになってしまった時代は過去にないだろうと思います。いや、もしかしたら明治末期とか昭和前半はそうだったかもしれない。戦争の時代ですね。

森達也監督

──インターネット空間では、情報の海のようになっていて、何が真実か分かりません。そんな情報とどう向き合ったら良いでしょうか。

難しくないんです。重要なことは2つだけ。

すべての情報は誰かを通過しているということ。つまり、それは誰かの「解釈」です。情報であるかぎり、100%客観的であることはありえない。

でも映像は現実じゃないか、と思われるかもしれない。しかし映像にはフレームやアングルがある。作品であれば、編集もします。それは「主観」そのものです。

もう1つは、実は、世界は多重で多面的で、多層的であるということ。

どこから見るかで、印象は全く変わります。世界は複雑なんです。ドキュメンタリーや報道番組においても、それだけを見て「世界」だと思うのはもったいない。もっともっといろんな視点と角度がある、ということに気づくことが重要です。

この2つを意識のうちに入れるだけで、情報の見方は随分変わると思います。

たったひとつの真実なんてない。事実は確かにひとつ。でもそれは、今日の最高気温とかシンプルな事例は別にして、人にはすべてを把握できない。真実は人の数だけあると思いますよ。
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文=督あかり 写真=帆足宗洋

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