森達也「表現の不自由」問題を斬る。なぜ自粛が広がり、炎上するのか

森達也監督


──では、なぜこのように「自粛」の動きが波及しているのでしょうか。

キーワードは「セキュリティ意識」です。これが強くなっている。

ひとむかし前なら、このような展示をすれば脅迫が来ることは承知したうえで、警備を強化するなどで対応していたと思う。そもそも本当に火をつけることを考えている人は電話をしてこない。黙って行動するはずです。つまりリスクはとても小さい。ところがそれを見過ごせなくなっている。

政治家の言葉に対しても同様です。放っておけばいい。でも何かをしないと後々困るのでは、との意識が先回りしてしまう。

つまり、いまは「万が一、(事件や予期せぬ事態が)起きたらどうするんだ?」と言うレトリックに、誰も対抗できなくなってしまっている。

「万が一」をすべて回避しようとするのなら何もできない。僕だって今日、帰りに万が一車にひかれて死ぬかもしれない。じゃあ今日は家に帰らないほうがいいかって、そんなバカな話はないわけです。

もちろんリスクを軽減することは間違いではない。でもゼロにはできない。言論や表現は先鋭化すればするほどリスクは高まります。そのリスクをゼロにすることは不可能です。でも一つだけ方法がある。展示や上映をしなければいい。表現や報道はやめて沈黙する。その動きが加速している。

中止すれば、トリエンナーレやしんゆり映画祭のように批判されて炎上するリスクが加わる。でもそこまでは考えていない。現在進行形の危機管理だけで頭がいっぱいになっている。考えたら、戦争や虐殺が起きる前の意識状態に近いのかもしれない。

もっと、自分たちの「セキュリティ意識」を見つめたほうがいいと思いますね。

森達也監督

──最近ではインターネット上で顔が見えず、匿名性の高い人たちが集団となって攻撃することが「炎上リスク」と言われていますが、それに対して向き合うときに大切なことはどんなことだと思いますか。


向き合わなければいい。それしかないです。日本社会は匿名性と親和性が高い。それがネットで悪い形で露呈しています。匿名は集団に埋没したいという意識から生まれる。「i」という主語が消えている状態なので、平気で人を罵倒できる。

そもそも東アジアは集団性が高いんです。でも最近の中国や韓国では、ネットでの炎上現象が過激になってしまうので、SNSなどの投稿の際には名前を明記しようとの動きが進んでいると聞いています。

ならば日本は、世界一ネット空間での「匿名性」が高い国なのかもしれない。そもそも一極集中に付和雷同。その傾向がネットの出現によってさらに加速している。

匿名性は表現や報道においても同様です。政治や社会問題を題材にしたドラマを製作しようとしても、日本では新聞社や官僚など公人の名前をすべて実名にすることは難しい。

海外では最近の映画だけでも、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』『バイス』『記者たち』など、当たり前のように実名で社会を描くドラマが公開されています。

なぜ日本ではできないのか。抗議があったらどうしようと委縮しているから。ならばこれもまた、過剰な「セキュリティ意識の産物」と見ることができます。
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文=督あかり 写真=帆足宗洋

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